俺たちはどういう社会で生きたいんだろうか

事実だけ述べれば大した試練でもないようなことに挑戦した。事実、その類の試練は僕はこれまで何度も挑戦したことがあるものだ。

 

しかし、今回はこれまでと違い、時間をかけて用意したこともあって、挑戦を終えると、緊張の糸が途切れてしまい、体に力が入らずに、ずっと家で寝ていた。そんな状態でも「生産しないと、努力しないと、生きてる意味がない、生きてる時間が勿体無い」というプレッシャーは勿論ある訳だが、どうしても力が入らない。

 

そんな生活が3日目に入った頃、会社の先輩に「それはストレスに耐えてたからだよ。なかなかすぐにはいつもの状態に戻って来れないから寝てるんだよ」と言われた。そこで「そうか、これはストレスの結果なのか…」と思った。自分は己の肉体や精神の衰弱に鈍感だ。

 

こんな時にいつも頭をよぎるのは「社会に出ただけで辛い思いをしたと感じるなんて、これまでぬるま湯で生きてきたのだ。あなたはストレス耐性が弱過ぎる」という意見だ。

 

弱った時に、頼れる相手が少ないながらも存在する自分は幸運だ。ストレス耐性を強く持たねばならぬ、と迫られる社会で、頼る相手もいない人はどうするんだろう。世間では間違った行為とされる方法でストレス発散をしている人も自分からそう遠くない人間のように、なんなら親近感さえ覚える場合もある。俺たちはどういう社会で生きたいんだろうね。

 

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ロックできるぜ

久しぶりに、不安がなく、自分が向き合ってる対象に「ロックできるぜ!」と思えている。

 

今夜、俺はとっくの昔に聞き飽きてしまった、自分が大好きな曲全てを聴いてから眠りたいぐらいに、機嫌がいい。

 

このメンツ、このやり方、この曲でロックし続けるぜ。感謝するぜ、これまでの全てに。

無くしても、壊れても、悲しくないものしか持ちたくない

自分はとてつもなく不注意な人間だ。

 

鍵や眼鏡や財布は何度も自宅で見失ってしまう。お皿は買った帰り道に割ってしまう。気づいたら本には変な折り目が付いている。

 

モノを大切に出来ない。

 

だから、よっぽどのことがない限り、無くしても、壊れても、悲しくならないものしか買わないようにしている。

 

けれども、そういう暮らしを続けていても、思い出が積み重ならないことに気付いた。

 

用が済んだモノは思い入れもないのでゴミ箱に、用が生まれたモノは思い入れを抱かないように棚へ。そうやって感情を動かさずにサイクルを回していても、思い出は積み重ならない。

 

感情のリスクマネージメントをして、思い出を生まない暮らし。もともと、俺はそんな風に暮らしたかったんだっけな。

 

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思い出が積み重ならず、季節だけが過ぎていく

これまでの人生でこんなにも思い出が積み重ならず、季節だけが過ぎていく日々があっただろうか。

気づいたら、春が来て、夏のように感じる日も増えて来て、なんとなく梅雨の足音すら聞こえ始めたような気もする。

自炊にも運動にも飽きて、仕事も趣味もモニターを眺めて成り立つ毎日に、水槽で生かされているような感覚を初めて覚えた。

 

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何がお洒落で、何がお洒落じゃないか

もう長い間、会っていない知人が僕の弱味について、インターネットに書き込んでいるところを偶然発見して、悲しいとまでは言わずとも「お洒落じゃないな〜」と思った。

 

わざわざ連絡して削除を頼むような内容でもないので、そんな程度であれば、インターネットに放流してもいいのかもしれないけれど。

そして自分もこんな投稿をしている時点で似たようなものだけれど。

 

「何がお洒落で、何がお洒落じゃないか」

この線引きは人それぞれ。

だけれども人生には、自分がお洒落だと思うことをお洒落じゃないと思う人、自分がお洒落じゃないと思うことをお洒落だと思う人が沢山現れる。

頑固に自分の線引きに拘るときもあれば、適当に自分の線引きを放棄するときもある。

どちらの場合も、拘ることが正しいのか、放棄することが正しいのか、分からなくなる。

もちろん理想は互いに歩み寄ることなのだろうけれど、なかなか実行することが難しい。

「違い」が争いや差別ではなく、ロマンスを生むことを証明するのはなかなか大変なのだ。

 

諦めないで頑張りたいね。

 

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嘔吐実績解除

自分はそれなりに酒が強い。

理由としては、どれだけ飲もうと、嘔吐したことがないからだ。

そもそも気分が悪くなるほど、飲むような夜が少ないことも理由として大きいが。

 

しかし昨夜、大量のワインを飲んだ結果、朝方に何度も嘔吐する羽目になった。

トイレで何度も吐きながら、自分の胸に去来する想いは実績解除できたことに対する安心感であった。

というのも、酒を飲み過ぎて吐いたことがないので、そのような状態に陥ってる友人を見ても、自分にはその状況の辛さや深刻さの見積もりが出来なかったのである。

故にどの程度の心配をすればいいのか、また心配してるように振る舞えばいいのか、見当が付かず、人生で幾度となく困ってきたのだ。

 

しかし、これからはそのようなことに困ることはもうない。

何故ならば、もう自分は「嘔吐したことのある側」の人間だからだ。

実績解除されたことによる、圧倒的な未来への安心感が嘔吐している最中、自分の胸に押し寄せてきたのである。

 

特にオチが見つからんけど、メモしておきたかった出来事だった。