もしも僕らの寿命が100年、200年、あるいは永遠になったら。

 何かのインタビューで女性のアーティストがこれからの結婚観について尋ねられていた。「人間の寿命が延びたときに、果たして同じ人と100年、200年一緒にいるのが合理的なのか?果たして永遠に生きられるようになったとき、永遠を誓うことは現実的な選択なのか?」と彼女は語っていてた。

 「この恋がいつの日にか 表彰台に登るとき 君がメダルを受け取ってくれないか 例えば千年 千年じゃ足りないか できるだけ長生きするから」と歌ったのはザ・ハイロウズだった。永遠の愛を誓う価値観もいつかは相対化されて、未来の僕たちには信じられない恋愛観のように思えるのかもしれない。結婚相手と一緒に過ごすことも、一つの国に住み続けることも永遠のような長い時間を生きることが可能になった未来では現実的でなくなったとしたら、自分が永遠と信じれる対象は自分の人生以外に何があるのだろうか。

 三島由紀夫金閣寺で描いた主人公は滅びの美しさを信じていた。「美しいもの」は本来ならば「存在しないもの」であり、端的に言えば「虚無」であると主人公は考える。「美しさ」に実体はなく、現実に存在する事物がそれ自体で「確固たる美」を所有することは出来ない。「永遠」に存在し続けるかのような金閣寺に、有限性を付与することで金閣寺は美しくなるのだ。そのために彼は金閣寺をラストシーンで燃やす。だとするならば、私たちは「永遠」を誓って有限に生きることと、いつかは全てが変わってしまうことを前提としながら永遠のように生きることではどちらが美しいのだろうか。果たして、人生における価値観すら相対化されることとなった世界で自分は何を選び取るのだろうか。