来年もその先もよろしく頼むよ!

 

 「人間と継続的に関係していくのって案外、難しいな。」

今年を振り返って思うことはそんなことだった。

生まれて23年経ち(ちなみにリバー・フェニックスはこの年齢で死んだらしい、どんな人生だよ)、上京と大学進学から四年も経つと、地元にも東京にもそれ以外のところにも、気づけばもう幾年も会っていないという友人が大勢出てくる。日々を暮らして、目の前のことを追いかけていると、昔の友人や昔のクラスメイトになかなか会う理由がないからだ。(ほんとは理由なんていらないのかもしれないけど)
そんな会うために都合のいい理由として「卒業間近」とか「忘年会」とかは便利で、今月はたくさんの人に会った。

そして昨日は高校の同級生が大勢集まる忘年会に参加してきた。一人の同級生の女の子が毎年主催しているものだ。もう五年目だという今回、初めて参加した。自分は高校時代にそんなに話さなかった人たちが多い集まりだというのもあって、何だか気乗りしなくて、これまで参加してこなかったのだ。でも、せっかく毎年誘ってもらえるのに一度も参加しないってのも気がひける話なので、今年は参加してきた。何十人もの高校の同級生が揃ってコミュニケーションしている様子なんて卒業して初めて見た。毎年の恒例行事として皆がその忘年会に接しているのもなんだか新鮮だった。何年も継続して、こんな理由を作れるって凄いなーと思いながら場を見渡してた。そのたったひとつの理由がなければ、再現されることが二度とはと言わないにしても、何十年も再現されなかったかもしれないと考えると、なんだか凄いことなんじゃないか、と思った。

話は変わるが、僕は高校三年生の頃、本町nuoohや京都METROというハコによく遊びに行っていた。中でもnuoohで開かれていた「oz」というパーティーは初回で初めてDJをやらしてもらったりした思い出深いイベントで、そんな縁もあって、よく遊びに行っていた。そのパーティーを主催していたのはzicoさんという方で、高校生活、いやそのあとの大学生活においても何かとお世話になった。そんなzicoさんが関西を代表するオーガナイザーとしてインタビューされた記事が載っている「関西ソーカル」というzineの3号を先ほど購入した。高校時代、早朝のなか卯でよく聞いていた話が文字になっていて、なんだか不思議な気分だった。自分のことや自分のやっていたパーティーも少しだけ言及されたりしていて、めちゃくちゃテンションが上がったりした。

インタビューの終わりに、ozが開かれていたnuoohが閉まったときの話が触れられていた。nuoohがなくなるとき、友人と「続けることで前向きな未来もあるんじゃないか」という話をskypeでしたのだという。その話に続いて、zicoさんが
「だから変わる、ということが何かを捨てること、何かと別れることと無縁でありえないとしても、続いていくならいつかまた会える時がくるのではないか、変わりながらだからこそ、続けられたこそできる再会もあるのではないか、と思う気持ちがあって。それが続けている意味かもしれないですね。」
と語って、インタビューは終わっていた。

大学生活四年間を通して実感した大きな要素として「始めるより、続ける方が難しい」ということがある。このzineで触れられていたパーティーも僕はやめてしまったし、他にもいくつも継続して取り組みたいことはあったのだけれど、現在はどれもやらなくなってしまっているというのが実情だ。冒頭で触れた人間関係に関する話もそうだ。何事も新しく始めるより、継続的に取り組んでいくことのほうが難しい。でも継続的に行わないと、見れない光景もあって、高校の同級生の忘年会も毎年恒例だからこそのグルーヴが発生しており、パーティーも続けるからこそ再会なんて現象が発生したりする訳だ。

来年からは少しのことでいいから、瞬間瞬間ではなくて、継続的に続けるということを念頭に置いて生活しようと思った。

そういえば、つい先日、先輩とチャットしていると「来年もその先もよろしく頼むよ!」って言われて、けっこう感動した。その感動の正体はうまく説明できないが、強いて言えば、普段からそんな未来見据えて生活していることに対する驚きと来年もその先も関係していくことの緩やかな宣言への喜びだろうか。
めちゃくちゃいい言葉だと思ったことを先輩に伝えると「大事なときにだけ使うように!」と返ってきた。大事なときのために使わないでおいてる言葉なんて自分にはなかったので、「これが大人か」と思った。大事なときにだけ使う言葉を僕も集めたい。

そんな訳でついこないだ会った皆も、随分会ってない皆も、来年もその先もよろしく頼みます。
継続的に人間と関係していきたい。

よいお年を!
 

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