大学生活で大事なことの多くは夜道のコミュニケーションで起きてた気がする。

 昨日、子どもの頃から書道をやってる友達から聞いた言葉が妙に印象的だった。彼女曰く、墨、筆、紙の状態はその日その時の天気、気温、湿度などなど様々な状態で変わってしまうし、何よりそのときの体調や気分など自分の様子も作品に反映されてしまうので、同じ字を書いても、それは二度と再現出来ない作品でそういうところが書道の面白みを感じるところらしい。でも、よくよく考えてみれば、スポーツだってそうだし、音楽のライヴだってそうだ。なんでそんなふうに印象的に思ったのかを考えていると、少し前にコミュニケーションもそういうもんなんじゃないだろうか、と思っていたことが理由な気がした。

 コミュニケーションも当たり前だが、その日その時の天気、気温、自分の体調、相手の体調などの影響を受ける。人生はいつだって複雑系で、そのタイミングタイミングで気持ちが交わるか交わらないかも、その日その時の偶然頼りだったりする。もちろん僕らはコミュニケーションの成功確率を上げたいから、コミュニケーションにおける仮説を実践し、PDCAを回し、少しずつ他人と心を通わすことや自分の気持ちを伝えること、ひいては生きることが上手になっていくが、どれだけ考えても自分以外の他人が何を考えているかを僕たちは分かる術がない。という訳で不確定要素がたくさんのように紐づくコミュニケーションという事象であるが、その中で再現性の高い条件が日付と時間、そして場所である。きっとこの時間とかこの場所でしか話せない、なんてこともあるのではないだろうか。そして中でも、夜道を歩くことでしか話せない会話ってあるのではないだろうか、なんて、このところ僕は考えている。

 いつだってコミュニケーションには目的がある。大人数が集まる飲み会ではその場の盛り上がりを皆で作るためにコミュニケートするし(もちろん、その裏で個々人の思惑が動いているけれど、それもそれで目的がある)、久しぶりに会った昔の友達とは過去の話と近況報告のためのコミュニケートだったりするし、仲良い友達とはバカ話するときもそれはそれで楽しむためのコミュニケートで楽しさに向かって僕たちは走っている。だけれども、夜、というより終電がなくなった深夜の道を歩きながらのコミュニケーションは特に目的がないように思える。いつになったら着くか分からない場所を目指しながら、繰り返されるコミュニケーションはオチのない思いつきや街を見て思ったことなどなど、面と向かって会話していたら誰にも届くことのなかった気持ちのように思えて愛しい。

 文章を書いていて「昼間でも散歩してたら、そんな会話にはなりそうだ」とも思った。が、夜でいつも人で溢れている都会の街に人がほとんどおらず、たまに見かける工事現場では昼間よりも慌ただしく作業が行われていたり、道に倒れている人がいたりする夜の世界は昼間とはまるで違うルールで動いているようで、そんな夜だからこそ話せてしまう話題があるように思う。そして夜の散歩は得てして予定されていなかったものであることが多く、降って湧いた時間だからこそ、より中身のない話題や気持ちを交換できるように思える。そんなこんなで最近、毎週のように夜道を歩いている。季節は冬。夜道を歩くには向いていない、フィルムで写真を撮れる時間も短い。ほんとは夏の夜道を歩くほうが好きだけれど、「サマネバエンズ まだ寝ません」って訳にもいかない。学生の間に使い果たせる夜はあといくつ残っているだろう。出来るだけ、たくさんの夜を使い果たしたい。

 

「渋谷の工事が終わった、いつかの夜にここを歩く日が来たら、今晩のことを思い出すかもしれない」

果たす/果たされることのないかもしれない約束を今のうちのたくさん結んでおきたい。

 

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