タクティカル・アーバニズムとして考えるバス停の椅子について。

 僕は夜道を歩くことが好きで、帰り道に最寄駅で降りずに少し家から遠い駅で降りては散歩して帰っている。最近、というよりもこの半年ぐらい、バス停の椅子の写真を撮ることにハマっている。特に被写体として興味がある、といった訳ではなく、僕が興味あるのはどこのバス停にどんな椅子があるかということである。出来ることなら、都内のバス停の椅子を全てマッピングしたい、なんならその椅子の種類や数を分類したいのだが、そんな時間はないため、目に入った椅子の写真を撮影することで収集した気になる、といった程度に留めている。

 

 何故、かように私はバス停の椅子に惹かれるのか。バス停の椅子はバス会社が設置したものではないものも多い、ということが私がバス停の椅子に心惹かれる大きな理由である。バス停の椅子は地域住民がボランティアで設置したり、店舗や医者などが宣伝を兼ねて寄付していたケースも多いのである。私が心惹かれるのは前者の地域住民がボランティアで設置したものである。もちろんこれは法律に当てはめると実は犯罪である。道にモノを置いて去っているのだから、それはそうだ。実際、トラブルも各地で起きている。だが、バスの利用者から使われているという事実を鑑みて、ベンチは必要であり、また撤去に対する苦情も出るであろうこと、公式に置くとお金がかかることなどなどの理由から、グレーゾーンとして取り扱われている。つまり、これは日本に何十年も前から実践されてきた、タクティカル・アーバニズムの一種なのである。

 

タクティカル・アーバニズムとは何か。それは世界的に広まりつつある、市民によるローコストで敏速な都市の改善方法である。レム・コールハースが「S,M,L,XL」において描いた、巨大化した20世紀の都市と建築のあり方にはなかった「XS」のスケールから都市を射程にすることがタクティカル・アーバニズムの真骨頂の面白い点である。つまるところ、法的なしがらみにとらわれて、図体のでかくなってしまった都市開発というものに個人が小さな形で無責任に干渉することで、都市を改善していこうという運動である。実例を挙げると、欧米諸国で道路標識を勝手に作ったり、町から置き去りにされた小さな土地で、ゲリラ的に花を植えたり農園をつくる活動などが代表的なものとして挙げられる。計画と合意をすっ飛ばして現場でインスタントにやってみせる、敏速な実践であることから、ラピッドプロトタイピングアジャイル開発のような設計志向とも近い考え方である。また僕がこの運動の興味深い点は法律的にグレーであるという点である。いわば都市が市民によってハックされていると言えるのである。これはAirbnbのような民泊ビジネスと宿泊施設に関する法令との衝突に近い話である。Airbnbが居住空間をホテルにすることを可能とし、都市をハックしたことと似ているのだ。

 

という訳で日夜、私はバス停の椅子を観察している。そういった暮らしの中で1件の奇妙な事例と私は出くわすことになった。家の近くのバス停の椅子が早朝と深夜は消えているのだ。この謎を解き明かすべく、とある日の朝から私はその椅子がどこから現れるのかを突き止めるべく、道の対岸からバス停を観察していた。そして、朝9時にバス停の椅子は現れた。そのバス停の椅子は近くの和菓子屋の主人が開店準備の作業の一環として持ち出されていたのだ。近くのバス停の使い勝手がよくなることが引いてはその場所の利便性が上がり、店の利益に貢献する、と考えておられるのか、はたまたただのボランティア活動なのか、もしくはそれ以外の何かなのかは分からないが、かくして私は運用されているバス停の椅子の存在を確認したのであった。

 

また以前から私は落書きがあるバス停の椅子について、ひどく不快に思っていた。落書きがあるだけで座りたくないと感じるから不思議だった。しかし、落書きという行為によって、人の行動が変えられるということで、落書きという行為自体が持つ魔力性/暴力性について考えてみると、落書きされたバス停の椅子というものは面白いもののように思えてきた。よくよく考えると、この落書きされた椅子の背景には、バス停に椅子を置いた人と椅子に落書きをした人が存在しているのである。(ひどく当たり前のことを言っている・・・。)つまり、「道」とは関係のない一般人の第二者が椅子を置くことで道に座る可能性が提示し、その後に第三者の落書きによって、その可能性が剥奪されるという物語が道に成立しているのである。それからというもの一日ぶりに通った道の道のバス停の椅子の向きが変わっているだけで私は考えさせられるようになった。一見すると道はただの道であり続けるように思えるが、こうした形でそこには「バス停の椅子の向きを変える」という道への小さな干渉をするだけで、人の痕跡を残すことが出来て、また「道に椅子を置く」「椅子に落書きをする」などの大きな干渉をすればそこに物語を生むことが出来るのだ。そうして今日も誰かの痕跡や物語を感じて、僕は道を歩いている。

 

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