ステッカーが重なるMacを見て、大学四年間を振り返った話。その二

 前回の記事では大学二年の夏に音楽イベントを開催したところまで振り返った。その後、ひょんなことからアドテクノロジーのデマンドサイドプラットフォームの提供会社のサマーインターンに行くことになる。Twitterで「〇〇って会社のインターン行きたいけれど、募集が大学三年生からなんだよなぁ」と呟いたところ、エゴサーチで見つけた全く知らない社員の方から「受けてみればいいじゃん!」とリプライを貰ったのがきっかけだった。自分の人生の転機には必ずTwitterがあります。

 このインターンが凄まじく楽しかった。三日三晩寝ずに答えがあるのかも分からない課題をチームで考えつづけました。どうやら自分は「答えのない課題をチームで考え続ける」みたいなことが好きみたいです。ここの会社のインターンが自分をIT業界へと、より惹きつけることになりました。今でも思い返します。

ちなみにこのとき僕はkeynoteパワポも触ったことがなくて、Macも持ってなくて、プレゼンも下手くそでめちゃくちゃ足手まといでした。コミュニケーション能力も低いし、会議の論点もずらしてしまいがちでした。フィードバックを聞いても、ピンと来てませんでした。今から考えると、凄まじく調子に乗っていました。このときの参加者はどなたも優秀でしたが、会う人はだれも居ません。自分に独りよがりな行動や態度が多かったのではないか、と思います。ちなみに課題がそんなところだと気づかずに、「とりあえずMacに慣れねば!」と思って、この夏にMacを買いました。

f:id:rikky_psyche:20160719165336j:plain

 

そしてネット広告に興味を持ったのをきっかけに夏の終わりからネット広告に関する会社で働くことになります。一日にやるべき仕事が決まっており、効率よく仕事を回すテクニックや一度、上司に聞いたことはきちんと覚えることが求められる職場でした。バイラルメディアの運営やライターをやっていたときは社員も少なく、自由な環境だったのに対して、きちんとした制度や組織が存在する会社でした。ここでもコミュニケーションが上手く行かず、周りのインターン生にも馴染めず、仕事も上手く行かず、毎日怒られていました。仕事に行くのが嫌な時期もありました。結果、大学三年の始めまで、半年勤めて、やめました。怒られる毎日できちんとバリューを発揮出来たのかは怪しいですが、一部のネット広告の実務的なシステムがどのように回っているかを実感することが出来たので、自分としては満足でした。この会社に勤めたおかげで「あ、短期インターンでアイデア出す=優秀ではないんだ」ということに気づきました。今になって振り返れば、遅い、遅すぎる気付きです。

 

 また夏の途中から高田馬場のシェアハウスに住み始めました。きっかけは朝五時に「○○(当時住んでた街)も飽きたなぁ」と呟いたところ、以前にイベントに出てもらった、ふるえるゆびさきのメンバーが居候を募集しているつぶやきが数分後にTwitterのTLに現れたことです。彼はふるえるゆびさきのもう一人のメンバーと高校からの同級生の三人で住んでいたのですが、彼以外が夏休みの間、留学に行ったり、実家で大学院の勉強をしたりしていて、留守だったのです。朝八時には生活必需品を持って、彼らの家にいました。最初は夏休みの間の予定だったのですが、帰ってきた残りの二人にも「住めば?」と言われ、元の家を解約し、本格的に住み始めました。ラーメンと油そばばっかり食べてたように思えます。当時は全員、就活もまだ先だし、特にすることもないしって感じでわりかし皆、ヒマでした。一日中、ワンピースのアニメの名シーンを同居人と見たりしていました。この頃の生活が自分の大学生活の中でもっとも怠惰を嗜んだ毎日だったと振り返ったときに思う。当時、乃木坂にハマっていた同居人が毎日歌っている声が聴こえたりしました。

f:id:rikky_psyche:20160720074211j:plain

 冬にはシェアハウスで101本の映画上映会をやっていました。諸事情あって、途中で中止になっちゃったんだけど、毎日家で映画を上映して、色んな人がうちに遊びに来てくれるのは楽しかったです。思いつきだけど、やってよかった。このときに初めて観た、僕たち急行A列車のことは電車の車窓から線路に近い家のベランダを眺めるとき、いつも思い出します。

f:id:rikky_psyche:20160720074428j:plain

 またこの大学二年という一年間は今から思えば狂ったように遊んでた一年間だったように思える。先輩と金曜日の夜から遊んで、土曜日に奥渋谷の別の先輩の家で仮眠して、そのあと渋谷で寿司を食べるか、ホテルの朝食バイキングに行くかを選んでいた。そしてその後、土曜日一限に出席し、そのまま一限が終わり次第、また先輩と遊んでいた。遊んでいたって言っても、色んな国の大使館を巡ったりとかそんなんだけど。大学生活が後半になるにつれて、そんなふうに遊ぶことは減っていたけど、この一年は本当に楽しかったように思えます。「リッキー君って毎日楽しそうだよね」って大学でよく言われました。何事にも無邪気だったように思える。

 冬にはまたELMERというパーティーをやりました。MISTAKES、DJ UCHIAGE、Redcompass、2 Fat DJ、笑う環境音楽、自分で言うのも何ですがいいメンツだったと思います。毎回、パーティーは開くたびに出演者の人が素晴らしいプレイや演奏をしてくれて、感無量になります。だけど、もう運営しているチームは疲労していました。「たかが小規模のパーティー」と言われてしまうかもしれないけど、これ以上、現行のメンバーでパーティーをし続けるのは無理な状況でした。何が問題だったかを明確に言い表すことは出来ないけれど、とにかく皆が色々なことに疲れてしまっていました。この日から会ってない運営メンバーもいます。皆、何してるんだろう。振り返れば、またしても僕はコミュニケーションに失敗してしまったように思います。

f:id:rikky_psyche:20150224221856j:plain

f:id:rikky_psyche:20150224223710j:plain


ELMER#4

 

 大学二年の終わりには幾人かのELMER運営メンバーとふるえるゆびさきで大阪に向かい、大阪でELMERを開きました。VJをやってくれていたしょたろが大阪まで一日かけて車を運転してくれました。フラフラになりながら夜に僕の実家に着くも、その後、朝まで人狼をしていたせいで疲れが全く取れてませんでした。フラフラのふるえるゆびさきのケツを叩いて翌朝、スタジオに練習に行かせました。この日のイベントはふるえるゆびさき、本日休演、the oto factoryのライヴ、Blackglass GさんとLATECKSMANこと宮島のDJというメンツでした。今思い返しても、皆、来ておくべきでしかなかったという豪華なメンツだと思える。そこまで交流のなかった本日休演やthe oto factoryの皆さんが出演してくださり、かつ素晴らしいライヴパフォーマンスで嬉しかったです。これまでライヴに出演してくださった人たちのライヴはいつだってまた観たい人たちばかりです。この日はそのあと朝まで難波の怪しい店が立ち並ぶ迷宮みたいな建物で飲んで過ごしました。楽しかった。翌日は静岡の旅館に泊まって帰りました。

f:id:rikky_psyche:20160720082046j:plain


ELMER#5

 結果としては、これが僕が最後に開いたパーティーになってしまった。色々やりたい気持ちはそのあともあったのだけど、色々うまくいかなかった。少しずつ聴いている音楽も減っていった。気づかない間に自分が高校生活のときに思い描いた大学生活とは違う方向へ舵を切っていきました。総じてコミュニケーションに失敗し続けた一年でした。そのときは気付いてなかったけど。

 

 長くなったので、その3に続きます。ようやく折り返し地点まで辿り着きました。