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90年代を彩った雑誌20冊をまとめてみた①

二週間ぶりに帰宅して適当に床に落ちていたスタジオボイスを拾い上げた。

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ベッドで読んでいたら、ばるぼらさんというライターが書かれた、90年代を彩った雑誌20冊というページがあった。

そういやこのページ面白かったなぁと思いつつ読んでいたのだが、僕が未だにどういう雑誌だったのか詳しく知らない雑誌、読んだことない雑誌が多くあったので調べてみたら、90年代の雑誌をまとめて紹介している記事を見つけることは出来なく、情報が散乱していた。ということで、もののついでにまとめてみた。雑誌の紹介文はスタジオボイスのこの号から引用させていただいた。

 

「relax」

「マンでインでカフェ」を合言葉に、ファッション、デザイン、ヒップホップ、コミックなどを多岐に渡り特集。いかにもマガジンハウスらしい雑誌の一つだった。代官山、中目黒、渋谷あたりから発信されるカルチャーが中心になっているという意味で、ローカル誌的な趣もあり、「relaxboy」の漫画を掲載した広告の展開も斬新だった。

この雑誌はかなり有名。僕も何冊か持っているし、今でもブックオフを周れば格安で手に入れることが出来るのではないだろうか。この一、二年で急速に流行り、すごいスピードで死語となったシティーボーイという言葉が提示するライフスタイルや価値観に通じるものがある。タイトル通りの気取らない格好良さが紙面から漂っている。ただマガジンハウスらしいというか表層的にしかカルチャーを取り上げておらず、ファッションとしてカルチャーを消費する価値観を感じてしまうことは否めない。デザインはカッコイイのに中身がほんとつまんねぇなと高校生のとき、よく思っていた。ただ毎回の特集テーマのキャッチコピーの切れ味の良さやデザインや写真の良さだけでも観ていて楽しめる。1996年に創刊されて、2006年に廃刊となった。

渋谷直角のRELAXBOYは去年、十数年ぶりに復刊されて話題になった。

RELAX BOY (小学館クリエイティブ単行本)

RELAX BOY (小学館クリエイティブ単行本)

 

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「Olive」

オリーブ少女なんて実は最初は存在しなかった。こんなコがいて欲しい、という願望と妄想で紙面を埋め尽くしたら、結果として現実が後から追いついてきたのだ。しかし現在、中古オリーブ少女( by岡崎京子)の拠り所となる雑誌は、『クワネル』や『リンカラン』等のオーガニック系を除き存在せず、彼女たちは、自らを雑誌難民と呼び、復刊を望む声は絶えない

ウィキペディアにも記述があったので抜粋しておく。

特に1980年代においては、実用的なファッション雑誌というより、のちに「ガーリー」と呼ばれる、新しいタイプの都会的少女文化を提示するサブカルチャー雑誌というべき存在であった。主要読者層の想定としてミッション系、一貫教育校などの中高生や帰国子女を含み、音楽、映画、インテリア、絵本など文化記事に力を入れ、当時『オリーブ』の愛読者でリセエンヌ的なファッションやライフスタイルにこだわる若い女性はオリーブ少女といわれた。

しかし、1990年代以降、読者層としていた10代の女性の指向が以前より現実的なものになり、より実用的なファッション雑誌に読者が流れた。『オリーブ』の提示した先鋭的な美意識が拡散し一般的なものになるにつれ、それまで唯一無二のものであった『オリーブ』の立ち位置が曖昧になってしまったともいえる。1990代の『オリーブ』は文化や生活全般を題材にするという姿勢は崩さないものの、より地に足のついた実践的な記事が増える傾向にあり、2000年代のスローライフに通じるようなコンセプトが強まっていった。

持ってはいないものの読んだことはあるオリーブ。神保町に行けば、今でも簡単に手に入れることが出来る。蜷川実花山田詠美山崎まどからを輩出しており、まさしく今にも通じるお洒落な文化系女子の雛形の形成に一役買ったのは間違いないだろう。日本の消費社会において文化を消費することがお洒落という価値観は女性にいつ頃、芽生えた、もしくは植え付けられたのだろうか。例えば女性誌の巻末に必ずある、映画や音楽やアートを紹介するページ、ああいったものはいつ頃、生まれたのだろうか。オリーブ以前にああいった価値観がどういうものに写像されていたのか、もしくは存在したのか調べるためにオリーブ以前の女性誌を読みたいなぁとこの頃思う。ちなみに僕の母親はオリーブ女子だった。1982年に創刊され、月刊になるなどのリニューアルをするも、2003年に廃刊になった。

去年、マガジンハウスはオリーブの「時代性」「共感性」に着目した新プロジェクト「Oliveプロジェクト」がスタートしたことで話題にもなった。来年の三月発売の「GINZA」の別冊付録として「Olive」特別号を刊行されるらしいし、更に話題になるだろう

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「i-D JAPAN」

一向に実態が見えてこないのが特徴ともいえる90年代文化トレンドが、カルト・ムービーから電脳空間、エイズやヴォーキング、ボンテージとウォルター・ヴァン・ベイレングドンクなどを巻き込みながら、「クラブカルチャー」という得体の知れない物へと収束していったその瞬間、居合抜きばりのタイミングで創刊された、英『i-D』誌の日本版。

イギリスを代表するカルチャーマガジン「i-D」の日本版が昔は刊行されていたなんて、このスタジオボイスの号を読むまで僕は知らなかった。刊行されてるであろう冊数から類推するに神保町に行けばあるのかもしれないが、僕は読んだことがない。 1991年、つまりバブル崩壊の年に創刊された訳だが、調べてみたところ中身はどうやらバブリーな内容であったようだ。90年代を振り返る本でよく指摘されていることだが、やはりバブル崩壊と共に地味になれる訳もなく、バブル崩壊以後も数年間は日本はバブルの雰囲気を引きずっていたようだ。ジュリアナ東京がこの年にオープンとなったことからも想像出来る。その独創的なデザインは今でも目を引くものがある。最後の三ヶ月のデザインや編集は現在はトップアートディレクター/グラフィックデザイナーの宮師雄一、鈴木直之の手によるものだったようで、以下のインタビューでそのときの苦労が語られている。91年に創刊され、93年に廃刊ということでずいぶん短命であったようだ。


第92回 タイクーングラフィックス 宮師 雄一 氏、鈴木 直之 氏 | Musicman-NET

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ちなみに最後の三ヶ月はこの三冊。

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紙のプロレス

格闘のメタレヴェルにある思想性と格闘を取り巻く構造自体を批評の対象とした視点はラディカルだったし、自己言及的な批評性と相まって、好事家を惹きつけ、いまなお傑物を輩出し続けている。

創刊時は「世の中とプロレスする雑誌」をコンセプトとしていた。つまりプロレスをテーマとした雑誌ではなく、人間の生き方をテーマにした雑誌だった。プロレス雑誌ではあって当たり前のグラビア・試合リポートは存在せず、高田文夫ナンシー関中島らも椎名誠立川談志など濃い執筆陣が揃えられていたようだ。その後、リニューアルを繰り返していく中でプロレス雑誌へと変貌していく。創刊19年を誇るが、当初からはスタッフ・コンセプト・刊行元・判型、そして誌名のすべてが変わってしまい、更に創刊時から続いているスタッフはいないという特異な経歴の雑誌。元紙のプロレス編集者が作っている KAMINOGが格闘技雑誌として隆盛を極めた時代の雰囲気に近いのかなぁと勝手に思っている。

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「MARQUEE」

90年代、マニアックな硬派なプログレ誌が突如渋谷系音楽雑誌へと姿を変えた。97年のリニューアル第一号ではピチカート・ファイヴが表紙を飾り、その後もコーネリアスカヒミ・カリィがフィーチャーされた。当時、この大胆な「転向」は賛否両論を呼んだが、編集長にとってはプログレ渋谷系もメンタリティーは一緒ということが記事の端々から滲む。

この雑誌に90年代に特に注目した文章は見つからず。今と同じような路線だったと思われる。ただ昔、プログレ雑誌だったというのは知らなかったため、面白いなぁと思った。

プログレ雑誌だった頃の表紙がこちら。

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「モンスーン」

慶應大学の福井和也ゼミの生徒を中心に創刊。無印良品、ラジコン、ヒップホップなどを特集した。「ロッキング・オン・ジャパン」に喧嘩を売ったり、行ってもいない「BUZZ」や「SNOOZER」のパーティーを妄想でレポするなど、終始挑発的。放課後に悪ノリで仕込んだ企画をまんま紙面化してしまったような部活ノリがいい。

こちらの雑誌は本当に読みたくて仕方ないのだけれど、どこかで読むことが出来ないだろうか?!ほとんどインターネットにも情報が落ちていない。雑誌の中身の画像も見つけることが出来なかった。福田和也氏は現在もSFCで教授を務めているとのことだが、友人曰く楽単の教授として認知されているらしい。

調べていると、こんなツイートを見つけたのだが、リンク先の記事はプライベートモードにされていて読むことが出来ず・・・残念。

ちなみにエスプレッソとは大谷能生が関わっていたミニコミである。

あのCrystalも当時、この雑誌作りに参加していたようでCINRAのインタビューでこのように語っている。

一方、大学では文芸批評家・福田和也さんのゼミに所属し、雑誌作りも経験しました。その延長線上で、ゼミの仲間と『モンスーン』という雑誌を立ち上げます。大学生の遊びではなく、しっかりと書店流通に乗せて販売をしていたというこの雑誌に、Crystalさんは編集者・ライターとして関わり、卒業後も休刊になるまで4年ほど刊行が続けられました。

Crystal:今考えると、MANIC STREET PREACHERSのようにとても生意気な雑誌でした(苦笑)。一番最初の号の特集が「the end of 裏原宿」。裏原宿カルチャーが全盛の頃に「裏原って終わってるよね」という企画を組んでいたんです。また、雑誌『rockin'on』に噛み付いたり、行ってもいないのに、妄想で『club snoozer』というイベントのレポートを面白おかしく書いてみたり。ただ、基本的に音楽ネタを書いていたので、「自分の好きな音楽を広めたい」という部分はDJと共通していました。音楽を聴いて「こう感じている!」というのを、DJだけでなく文章としても発表していたんです。

『モンスーン』は、恵比寿MILKでイベントなども開催し、CrystalさんはDJとしても関わっていました。大学生の頃に友人同士で開催していたイベントとは違い、『モンスーン』のイベントには友人ではない一般のお客さんも数多く訪れます。このMILKでのイベントは、Crystalさんにとって、ある意味本格的なDJデビューの場にもなったのです。

引用元のインタビューはこちら


あの人の音楽が生まれる部屋 Vol.3:Crystal - 連載・コラム : CINRA.NET

 

「BD」

90年代初頭の悪趣味ブームを結果的に先取りしたミニコミ。編集長デザイナーこじままさきの同時代文化への視点は天才的だった。これがワープロ原稿切り貼りで作られていたのが90年代ミニコミの七不思議。「へんないきもの」の早川いくをや、歌人枡野浩一も投稿。

こじままさき氏が殆どの作業をすべて行って作っていた雑誌の模様。吉田豪枡野浩一といった才能を発掘する場としても機能していたようだ。「BD」のメジャー展開的フリーペーパー「コンダラ」というのも存在したようだが、こちらに至っては広大なネットの海に情報を一つも見つけることが出来なかった。90年代の悪趣味ブーム/鬼畜系はインターネットと親和性が高いように思えるが存外、アーカイヴ化されていないことが多いように思う。もしくは検索ではなかなか出てこないインターネットの深海に沈んでいるのかもしれない。

青山正明を振り返る特集でこじままさき氏へのインタビューが行われていた。

天災編集者! 青山正明の世界 第82回 こじままさきインタビュー part1 - WEBスナイパー

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「shortcut」

価値観の細分化が進行した90年代に「スペシャリストよりジェネラリストを」という逆行する姿勢を追求、総号数は軽く100を超え、増刊・別冊・テープ作品まで合わせると誰も全貌が把握できない増殖っぷりは、今見ても十分独特だ。松沢呉一VS唐沢俊一論争や、100字レヴューも懐かしい。

いつだかのクイックジャパン唐沢俊一のパクリ問題について読んだことはあるが、実際のところどういったものだったか僕はよく知らない。また全貌を人が把握し切れないほどに増殖を続けたはずであるのにshortcut自体に関する言及をネットで見つけることは出来ず、調べていても謎を明かすことの出来ない雑誌であった。雑誌というものがある種アーカイヴ化された、その時代を真空パックしたようなものである特性と同時に保存されるようなものではなく、時代が流れていくにつれて、捨てられ忘れられていくもの=非アーカイヴ化的な特性を併せ持つというのは非常に面白い。

 

「3ちゃんロック」

安田謙一が関西で編集していたミニコミで「絶対に役に立たない音楽誌」または「ヴィレッジグリーンヴォイス」の発展形。モンド本の先駆的扱いもされるが、タイニー・ティムシャッグス等のアウトサイダーミュージックを、嘲笑ではなく、堅苦しさ無く、あくまで音楽的に評論していく姿勢は全く別物だ。山塚EYヨ、岸野雄一小西康陽らも執筆。

こちらのミニコミは殆どインターネットに情報が落ちていなかった。宇宙人のための音楽誌やくるくる廻る音楽誌や音のない歌謡曲という特集タイトルから類推するに相当、攻めた内容であったようだ。宇宙人のための音楽誌では人間ジュークボックス、またはもんどミュージックの大御所であるタイニー・ティムが大きく紹介されていたようだ。1988年に創刊され、年一冊のペースで1992年まで四冊刊行された模様。残念ながら紙面の画像も見つけることが出来なかった。

 

「花形文化通信」

ミニコミ文化が盛んな京都の100号で終刊したフリーペーパー。各界のクリエイターが登場する巻頭インタビューの人選、落ち着いたデザイン、嶽本野ばらの連載「それいぬ〜正しい乙女になるために」、お菓子のレシピなどは、90年代後半から頭角を表す乙女カルチャー/文化系女子の雛形としても楽しめる。「3ちゃんロック」のコラム連載もあった。

どういった人を特集していたのか調べてみたところ、大貫妙子鈴木慶一CHARA藤井フミヤピチカート・ファイヴなど間違いない人選であったと共に、比較的にオーバーグラウンドな人を特集していたようである。フリーペーパーでこういったポップな人選で尖った内容という事例はあまり見かけないので、珍しい気がする。どうやら国立国会図書館に行けば、読むことが出来る模様。

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長くなったので、残り十冊はまた次回に紹介する。