読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

土曜日

六本木の青山ブックセラーズで友人を待ち、applimの決勝戦を観に行く。青山ブックセラーズで読んだファッション誌に載っていたn hoolywoodの2015 ssが心撃ちぬく格好良さであった。

f:id:rikky_psyche:20130616155956j:plain

f:id:rikky_psyche:20141026222828p:plain

 

 

その後、六本木一丁目まで歩き、決勝会場へ。友達が裏選考で発表していて賞をもらっていたのに対して、僕は不甲斐ない結果に終わってしまった。発表を見ていて、自分たちは何と枠組みを小さく捉えていたのだろうか、想像力の欠片もない人間であるかを再確認させられる。こういったことを実感するばかりで、その実感を何かしらの実績に変換することが未だ一度も出来ていない。大学生活二年目も折り返し地点だというのに僕はまだ何も成し遂げられていないのだ。自分の凡人さにため息をつきながら会場を後にする。

 

その後も消化不良なことが続き、夜遅くまでダウナーな気分であったのだが、本屋で偶然手にとった辺口芳典氏の詩集「トカゲのテレパシー キツネのテレパシー」の内容が素晴らしさに僕の中の赤血球が爆発し、血流が逆流し、フル稼働、脳内に酸素がすさまじい勢いで注入され、山手通りを全速力で走って帰ろうか悩む。

家に帰り、辺口芳典氏について詳しく調べる。 インターネットでときたまに見かけるキャップを作っているのも、この方であった。大阪で画廊もやっておられるようで、帰省した際には必ず遊びに行こうと決める。また「トカゲのテレパシー キツネのテレパシー」の刊行イベントが来月に原宿のvacantで開かれるようだ。これも是非とも遊びに行きたい。vacantといえば、 C.Eの展示会観に行くつもりだったのが結局、行けずじまいだった。

f:id:rikky_psyche:20131219193552j:plain

f:id:rikky_psyche:20131219194036j:plain

帰宅後、同居人から「今日は何だか機嫌がいいね」と言われる。「猿の惑星   新世紀」を観て帰宅したとき以来のテンションの高さであったように思える。現実を忘れさせてくれる、どこか知らないワクワクさせてくれる土地へ僕をドライヴに連れていいてくれる映画、音楽、小説、誌 etc・・・。自分が知らない、自分が大好きなものが世の中に数えきれないほど、存在している。それを探していくだけで人生は色彩を持ち始める。数日前に同居人に「どうして映画を観るのか?」と聞かれたとき、僕は答えを持ちあわせていなかったが、今ならもっと自信を持って、答えることが出来る。

 

帰り道に寄った高田馬場の GEO の閉店セール。セール開始日の夜にも関わらず、既にほとんどのDVDが買われてしまっていた。一枚300円だったのでポン・ジュノの「グエムル   漢江の怪物」、ガス・ヴァン・サントの「エレファント」、フェリーニの「ジンジャーとフレッド」を購入した。

 

日曜日

ニンフォマニアックを観に行くつもりであったのだが、外がいい天気であることを確認するとそんな気分でもなくなってしまった。お昼まで布団に包まり、キャプテンアメリカ   ウィンターソルジャーを観て過ごす。

武器は鋼鉄の縦、主に肉弾戦で戦う、現代のヒーローとしてはあまりにはアナログなスタイルのキャプテンアメリカであるが、そんな彼に今回立ちふさがる敵は簡単に言ってしまえば「衛星によって世界中だれでも撃つことの出来る監視システム」である。アイアンマンがハイテクなものと戦ったところで説得力は生まれないので、アナログなヒーローであるが故にこのようなシステムが敵となる必然性があったのだろう。このシステムは言い換えれば、人々の自由を制限することであり、それが正義を実現するのだろうか?という疑問が本作において呈される。その疑問に対して「互いに信頼してこそ部隊は機能する」というキャプテンの思想を通して本作は解答する。平和というものは監視し、誰かに統括されて実現するものではなく、互いに信頼することによって実現するという社会を在るべき形として定義しているのである。大きな物語が成立していた時代から、信頼が社会を担保するものとして機能しなくなった未来にやってきたキャプテンアメリカが自己の存在を大きな物語とすることによって、失われた過去を少しばかりでも回復させようと奮闘する物語が映画版キャプテンアメリカなのかもしれない。


映画『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』予告編 - YouTube

宇多丸猿の惑星  新世紀評を聴きながらシャワーを浴びて、友達と遅い昼食を食べた。先日、猿の惑星 新世紀の感想を深夜のファミレスで語り合った際に過去の猿の惑星はどういったテーマであったんだろう?という疑問が出たときから気になっていたのだが、宇多丸の批評に出ていた猿の惑星 隠された真実にうまく描かれてあるようだ。なるべく早く買って読みたい。

 

『猿の惑星』隠された真実

『猿の惑星』隠された真実

 

 

読むのがしばらく止まっていたボリス・ヴィアンのサンジェルマン・デ・プレ入門を読み進める。この本は第二次世界大戦後のパリのサンジェルマン・デ・プレ通りで起こったユースカルチャーの中心で踊っていた作者が事細かく、どういった歴史をそのカルチャーが辿ったのか、どういう人間がそこにいたのかを記述してくれているのだが、これが無類に面白い。この本を読むといつだって僕はこの時代のこの場所に飛んでみたい、所謂「ミッドナイト・イン・パリ症」に陥ってしまう。少し話は脱線するが、つい最近どういった時代に生まれたかったか?という自分にとってのミッドナイト・イン・パリについて語っている時に 友達が例として挙げていた「紀元前一万年のオタ」というエロ漫画の話が面白かった。主人公が現代からタイムスリップして、原始時代に辿り着き、原始人の巨乳美女たちを現代の進化した性のテクニックや概念で虜にしていく物語である。「人類初めての騎乗位」「人類初めての赤ちゃんプレイ」「人類初めての正常位」などが繰り広げられていく内容は革新的だった。

 

 話をサンジェルマン・デ・プレ入門の話に戻す。今日読んだのはフロールというカフェについての項であった。このカフェは若い文学者で溢れていたようなのだが、そのカフェについて朝から夜までいる常連であったサルトルはこう回想する。

固定客は非常に閉鎖的ないくつかのグループに限られていたな。もしある日、誰も知らない素敵な女の子が店に現れたら、グループの面々は「新顔だよ」とお互いにささやきあうんだ。シルヴィア・モンフォールがフロールに来はじめのころ、あれは誰だろうと何日も話題になったね。まるでイギリスの会員制クラブのようだった。店に来る連中は皆顔見知りで、誰もが隣のやつの私生活の細部まで知っているんだ。しかしグループ同士は挨拶もしなかったな。よそで会ったら慌ててお辞儀などするのにね。よそはどうやら中立地帯という訳なんだ。

携帯のない時代のユースカルチャー、その場所にいけば誰かがいるというカルチャーの持つ格好良さやクールさ。便利になり過ぎた社会で大学生活を送る揺り戻しで、そういった若者文化に僕はどうしようもなく惹かれる。気づけばそんな本ばかり読んでいる。サンジェルマン・デ・プレ入門は読み終わるのがあまりにも勿体ないので少しづつ嗜んでいこうと思う。

 

サン=ジェルマン=デ=プレ入門

サン=ジェルマン=デ=プレ入門

 

 今月の映画秘宝を読んでいて、近々公開される6歳のボクが、大人になるまで。の監督のリチャード・リンクレイターがバッド・チューニングの監督であったことを知る。バッド・チューニングは僕の大好きな映画の一つで、若者の汗や息やどうしようもなさや一瞬の煌きが染み付いているのだが、どうやらその前に撮っていた映画があるらしく、どうやらタイトルは「slacker」というらしい。出演者は100人以上に渡り、 彼ら若者が人生の可能性、政治、文化などについて語り倒しては次々と視点を変えて行き、この世界が多様な価値観で形作られていることを描いた内容らしい。どうしようもなく興味を引き立てられる内容で観たくて堪らない。 日本語翻訳は未だ出てないようだ。英語版youtubeにあがっているので、こういうとき英語力があればと心底思う。

Slacker Trailer - YouTube

 

40年以上前の本に「アメリカでヒッピーからティーニーバッパーが生まれたが最近またマイクロバッパーという名の子どもたちが増えだした」って文章を見つけて、初耳だったのでマイクロバッパーについて検索してみたが、日本語では全く引っ掛からなかった。マイクロバッパーはアメリカの都会育ちの少年少女で年齢は九歳から十三歳。幼少期の生活様式に革命を起こそうと考え、冷静沈着にその考えを行動に移しているらしい。何と早熟な若者であろうか、いや若者と言うには若すぎる、これぞまさしく子ども文化である。彼らの会話の特徴は殆ど動詞を使わないこと。動詞の部分はジェスチャーで間に合わせてしまい、それに対して想像力が働きかけたり、テレパシー現象が生じたりして、すこぶる活発なやりとりになり、大人からすると、まるで芝居でも見てるような気分になるらしい。そして彼らは自分たちの肉体がセックスにはまだ充分に備わっていないことも理解しているらしい。しかしフィーリングとしてはそこを探検したいという気持ちがある。つまりお互いに友達として探検していくことになり、大人の場合だとセックスがコミュニケーションの障害になるのに、そういう観念はないらしい。なんと斬新で新たな考え方だろう。古本を読んでいて楽しいのは僕たちから見ると未来のような考え方や生活様式が時折、過去に存在していることであるな、と思う。このマイクロバッパーはまるでインターネットにより無限の知恵を手に入れた子どもたちのようであるからだ。 ちなみに英語で検索して調べてみた限り、このようなイメージであったようだ。なんとも奇妙。

f:id:rikky_psyche:20141026214522j:plain

 

夜はちーたらを食べながら、ごめんね青春を観て過ごした。ごめんね青春の感想を書く体力がないので、このへんで締める・・・