高田馬場で二束三文で叩き売られていた十年以上前のQuick Japanを購入。

コロコロコミック黎明期の立役者となった漫画「ゲームセンターあらし」の作者である、すがやみつるのインタビューが載っていた。その中での「漫画を芸術として捉えようという流れがあるけれど、僕はもっと消費物でいいのではないかと思う」といった趣旨の言葉が印象に残る。 これは「低予算映画の帝王」と呼ばれたロジャー・コーマンにも通じる考え方である。自分の作品は芸術品ではなく、純粋に人に消費されるための娯楽品だという姿勢。こういった姿勢には僕は非常に好意が沸く。高尚なものではなく、人を楽しませるためだけの漫画、人を驚かせるためだけの映画、人を躍らせるためだけの音楽。そういったものにはどこか自己顕示欲がなく、大衆に向けられたものだから内容は下衆だったりするのだが、そこにしかない美しさが宿っているように感じるのだ。

 

ゲームセンターあらしの一コマ

f:id:rikky_psyche:20140901014048j:plain

ロジャー・コーマン監督の傑作「デス・レース2000年


Death Race 2000 (1975) trailer - YouTube

こうやって見ると両方とも信じられないぐらい幼稚だ。

 

ロジャー・コーマンが監督でジャック・ニコルソンが脚本を担当した「白昼の幻想」を観たけど、ゴミのような映画だった。ドラッグムービーの走り、イージー・ライダーの原点として知られている映画だが、何の感動も得られなかった。見る前から面白くないことは分かった上で見ているのだけれど、何でこんなつまらない映画を見続けるのか自分でもよく分からない。ただ好きか嫌いかで言えば、嫌いじゃない、むしろ好きといった気持ちになる。デニス・ホッパーが出ている映画はどうしても惹かれてしまうものがある。 

 

白昼の幻想は横尾忠則が作ったジャケットがアシッドで印象的なイメージだったのだけれど、外国でのジェケットもアシッドでクールなデザインだった。

f:id:rikky_psyche:20140901022645j:plain

f:id:rikky_psyche:20140901022800j:plain

 

このポスターを画像検索していたら出てきたハヤカワ文庫の「幻想と怪奇」というアンソロジーシリーズの表紙

f:id:rikky_psyche:20140901023009j:plain

f:id:rikky_psyche:20140901023014j:plain

f:id:rikky_psyche:20140901023019j:plain

こういった七十年代に刊行されたであろう本の表紙が tumblrで流れてくるたびに 、そういった本が大量に置かれていた幼少の頃に行きつけだった耳鼻科を思い出す。 H・G ・ウェルズの宇宙戦争など多くのクラシックスSFをその耳鼻科の待ち時間で読んだ覚えがある。今、ああいった昔から何十年も本棚のセレクトが変わっていない、ボロボロになった本ばかり置いてある病院はあるのだろうか。少しずつ減っている気がする。またこういったサンリオSF文庫やハヤカワ文庫の表紙のようなデザインを言い表す用語はないだろうのか。自分が言い表したいデザインがどういった言葉で表すものか分からないのは胸に何か詰まったようで気持ちが悪い。