優しさの天才。

 こないだインターン先でクライアントとのワークショップの後片付けをしながら、一緒に仕事をしていた友達に「最近、気を遣う場面がすごい増えたんだよね」と何の気無しに言った。すると「それは気を遣う場面が増えたんじゃなくて、単純に気を遣うようになったんじゃないの?今日、すごい気を遣ってたよね」と言われた。その言葉をどう受け止めていいのか、もやもやとこの一週間ぐらい心の中に抱えている。

 僕は気を遣ったり、人に優しくしたりするのが苦手だ。そして苦手であることすら、大学中盤になるぐらいまで気付いていなかった。なんなら得意なのではないかぐらいに思っていた。色んな人から指摘されて、初めて自分は人の気持ちを思いやるとかそういうことが苦手なことを知った。大学生の社会に1/4歩ぐらい出たおかげで、自分の気の遣えなさを痛感することも多く、一生懸命に努力してはいるつもりである。だからといって、すぐにうまく歯車が回る訳でもなく、どうすれば人に優しくできるんだろうか、とぼんやりと考える。僕の周りの大人や友人でたまにすごく気が遣えるし、優しい人がいる。「どうすればこんなふうになれるんだろう?過去に何か大事なものを失ったのかな、じゃないとこんなに人間が完成されている説明がつかない」と思っていた。て訳で前述の仕事終わりの一言で「こんな僕でも周りに気の遣えてるように見るのか」とか「そもそも気を遣っているなんて分かるって気が遣えてるのか」とかとか思っていた訳だ。

 そんな折に「君の言い訳は最高の芸術/最果タヒ」を読んだ。途中で彼女なりの「優しさ」論が現れるのだが、その話が目から鱗すぎて驚いた。一部を抜粋して、ここに書いておく。

 

そして 、天然でそういうところをおだやかに 、察することができる人というのに憧れた 。でも 、今ならわかるのだけれど 、そういうひとはただの優しさの天才なんだよな 。あれが正しい大人の姿だと思っていたけれど 、ただの天才だったのだよな 。かなしいことに人間は他者にされた優しさというものにはちゃんと気づけてしまうから 、そして優しさなんていうのは誰だって無限に発揮できるものだとちょっと思いがちだから 、天才的な優しさまでもすべて自分だって発揮できると信じてしまって 、そして自滅することがある 。途方もない優しさの天才を人間としての基準と信じて生きてしまうと 、自己嫌悪と他者への軽蔑が止まらなくなり 、結果的に誰よりも優しくなくなってしまう 。この法則に誰か名前をつけようぜ 。で 、まあ 、しかしそういう天才たちは想像以上に特に考えていないというか 、まるで風を察知した繊細な綿毛みたいに他者の感情が乱れる直前 、そっと気づいてそして助ける 。たとえそれがどうして辛いのか 、論理的には理解できなくても 、察してしまう。もはや第六感とかそういうものじゃないかとすら思うの。マナーともまったく違っていて、本人も考えて動けるわけじゃない。で、だからこそ、たぶん、やろうと思ってできる類のものではないんだと思う。優しさにも閾値があるんですよ。人間。運動神経とかと一緒ですよ。で、それでも優しくされた時の感動だけはみんなわかるから、だからこそ人は考えて考えて、知識と想像力を駆使しまくって、天然での優しさが発揮しきれないかわりに、なんとか気を使おうとするんだろう。自分とはちがう立場の人にとって、必要なこと、主張するべきことえお、なんとか理解しようとする、傷つけないように気を配る。自分からは見えない景色をかき集めて、他者の視線を手に入れようとする感じ。優しさよりなんだかそれってかわいいよなあと思うのだけれど、どうでしょうか。

 

 読んでみればわかると思うが、僕は優しさの天才を見ながら、優しさの天才に憧れていた訳だ。といっても才能がなくても頑張らない訳にもいかないので、凡人なりに凡人なりのやり方で、これからも少しずつ見えない景色をかき集めていこう。

 

て訳でおすすめなので、「君の言い訳は最高の芸術/最果タヒ」をみんな買えばいいと思うよ。

f:id:rikky_psyche:20161017191746j:plain

タクティカル・アーバニズムとして考えるバス停の椅子について。

 僕は夜道を歩くことが好きで、帰り道に最寄駅で降りずに少し家から遠い駅で降りては散歩して帰っている。最近、というよりもこの半年ぐらい、バス停の椅子の写真を撮ることにハマっている。特に被写体として興味がある、といった訳ではなく、僕が興味あるのはどこのバス停にどんな椅子があるかということである。出来ることなら、都内のバス停の椅子を全てマッピングしたい、なんならその椅子の種類や数を分類したいのだが、そんな時間はないため、目に入った椅子の写真を撮影することで収集した気になる、といった程度に留めている。

 

 何故、かように私はバス停の椅子に惹かれるのか。バス停の椅子はバス会社が設置したものではないものも多い、ということが私がバス停の椅子に心惹かれる大きな理由である。バス停の椅子は地域住民がボランティアで設置したり、店舗や医者などが宣伝を兼ねて寄付していたケースも多いのである。私が心惹かれるのは前者の地域住民がボランティアで設置したものである。もちろんこれは法律に当てはめると実は犯罪である。道にモノを置いて去っているのだから、それはそうだ。実際、トラブルも各地で起きている。だが、バスの利用者から使われているという事実を鑑みて、ベンチは必要であり、また撤去に対する苦情も出るであろうこと、公式に置くとお金がかかることなどなどの理由から、グレーゾーンとして取り扱われている。つまり、これは日本に何十年も前から実践されてきた、タクティカル・アーバニズムの一種なのである。

 

タクティカル・アーバニズムとは何か。それは世界的に広まりつつある、市民によるローコストで敏速な都市の改善方法である。レム・コールハースが「S,M,L,XL」において描いた、巨大化した20世紀の都市と建築のあり方にはなかった「XS」のスケールから都市を射程にすることがタクティカル・アーバニズムの真骨頂の面白い点である。つまるところ、法的なしがらみにとらわれて、図体のでかくなってしまった都市開発というものに個人が小さな形で無責任に干渉することで、都市を改善していこうという運動である。実例を挙げると、欧米諸国で道路標識を勝手に作ったり、町から置き去りにされた小さな土地で、ゲリラ的に花を植えたり農園をつくる活動などが代表的なものとして挙げられる。計画と合意をすっ飛ばして現場でインスタントにやってみせる、敏速な実践であることから、ラピッドプロトタイピングアジャイル開発のような設計志向とも近い考え方である。また僕がこの運動の興味深い点は法律的にグレーであるという点である。いわば都市が市民によってハックされていると言えるのである。これはAirbnbのような民泊ビジネスと宿泊施設に関する法令との衝突に近い話である。Airbnbが居住空間をホテルにすることを可能とし、都市をハックしたことと似ているのだ。

 

という訳で日夜、私はバス停の椅子を観察している。そういった暮らしの中で1件の奇妙な事例と私は出くわすことになった。家の近くのバス停の椅子が早朝と深夜は消えているのだ。この謎を解き明かすべく、とある日の朝から私はその椅子がどこから現れるのかを突き止めるべく、道の対岸からバス停を観察していた。そして、朝9時にバス停の椅子は現れた。そのバス停の椅子は近くの和菓子屋の主人が開店準備の作業の一環として持ち出されていたのだ。近くのバス停の使い勝手がよくなることが引いてはその場所の利便性が上がり、店の利益に貢献する、と考えておられるのか、はたまたただのボランティア活動なのか、もしくはそれ以外の何かなのかは分からないが、かくして私は運用されているバス停の椅子の存在を確認したのであった。

 

また以前から私は落書きがあるバス停の椅子について、ひどく不快に思っていた。落書きがあるだけで座りたくないと感じるから不思議だった。しかし、落書きという行為によって、人の行動が変えられるということで、落書きという行為自体が持つ魔力性/暴力性について考えてみると、落書きされたバス停の椅子というものは面白いもののように思えてきた。よくよく考えると、この落書きされた椅子の背景には、バス停に椅子を置いた人と椅子に落書きをした人が存在しているのである。(ひどく当たり前のことを言っている・・・。)つまり、「道」とは関係のない一般人の第二者が椅子を置くことで道に座る可能性が提示し、その後に第三者の落書きによって、その可能性が剥奪されるという物語が道に成立しているのである。それからというもの一日ぶりに通った道の道のバス停の椅子の向きが変わっているだけで私は考えさせられるようになった。一見すると道はただの道であり続けるように思えるが、こうした形でそこには「バス停の椅子の向きを変える」という道への小さな干渉をするだけで、人の痕跡を残すことが出来て、また「道に椅子を置く」「椅子に落書きをする」などの大きな干渉をすればそこに物語を生むことが出来るのだ。そうして今日も誰かの痕跡や物語を感じて、僕は道を歩いている。

 

f:id:rikky_psyche:20161107112939j:plain

ハレの日がハレの日でなくなった東京のハロウィン。

 11月3日の25時。近所のよく行く喫茶店は朝まで営業してるので、いつも長居するのだけれど、そのせいで合間合間に外に用事が出来るので少しの間、コンビニや本屋に行くために出たりする。チェルフィッチュの三月の五日間みたいだな、といつも思う。その喫茶店でレイトショーの上映までに持て余した時間で、今、僕はこの文章を書いている。

 

 野暮用で10月29日も30日も31日も渋谷にいた。三日間共、足早に帰ることもできたのだが、ハロウィンのコスプレを着た人たちの群れの中に折角いるので写真を撮ったり、眺めたりしていた。道路を通る車からは大音量のEDMが流れ、道でテキーラが売られていて、街はぐちゃぐちゃだった。何年も前に同じことを言ってる人は沢山いると思うが、主催者なきハロウィンに渋谷にコスプレした人が押し寄せるの中心なき運動でアラブの春っぽかった。そんなアラブの春からもう五年が経つらしい。こないだ仕事で五年前に起きたことを調べていて、そのことを知って驚いた。そう言われてみれば、中心なき運動体という話題は当時に聞けば、聞かなくなったように思える。「オキュパイウォールストリート」とか「イスラム国」とか中心なき、アメーバのような運動体の話題がこの数年で話題になったが、今年は新しくそういった運動を聞いた覚えがない。そんなふうに運動することが当たり前のようになったのか、それとも人々はそんなふうに動かなかったのか。そういえば、SHIELDsには先導者がいたっけ。

 

 あーでもなくこーでもなくとそんなことを話しながら、歩いていると彼岸にコスプレイヤーが待ち構える、渋谷のスクランブル交差点に着いた。赤信号で待っている間、隣で話していた友達に「ハロウィンでもここはホコ天にならないんだね」と思いつきを伝えた。すると隣からは「信号が赤と青を繰り返すことで、たくさんの人の塊が分断と結合を繰り返すから、それはそれでいいんじゃない?だから、皆、ハイタッチする訳だし、そっちの方が楽しそうじゃない?」って返ってきた。なんだかロマンチックな例えだった。分断と結合が起こるから、運動が発生する訳だし、運動が起こるから、ドラマが発生するんじゃないかって、そんなふうに思った。繋がりっ放しの日常からはドラマはな生まれないのかもしれない。そういえば皆さんは、アインシュタインが考えたESRパラドックスという量子力学パラドックスをご存知だろうか?簡単に説明すると「互いに相関する2つの粒子は、どんなに離れていても影響し合う」という量子学の現象である。もうすこし詳しく説明すると「スピン0の素粒子が崩壊して、二つの電子になる場合を考える。そのとき二つの電子のスピンの方向は必ず測定結果と逆の値を返さなければ、量子力学上おかしくなってしまう。ということはこの二つの電子はどれほど遠いうところにあったとしても、片方の電子の方向を逆にすれば、もう片方の電子の方向もその逆になるのである。」ということだ。これが何故、パラドックスなのか。量子力学上おかしくなってしまうので、全く同じタイミングで電子の方向が対照を描くとすれば、「片方の電子の向きが変わった」という情報は光よりも速く、全く同じタイミングで伝達されているのである、これは情報が時空を超えているということで、光速を超える相互作用は因果律を破るため禁じる、アインシュタインが唱えた相対性理論と矛盾するのである。現在では上記の電子の相関関係は存在すると証明され、相対性理論にも一部間違いがあったとして「EPRパラドックス」ではなく「EPR相関」と呼ばれている。先日、初めて聞いた話なので、間違いがあったら、申し訳ないが、あくまで今の僕の理解は上記のようなものだ。初めて教えてもらったとき、僕はなんてロマンチックな法則なんだろうと思った。一度繋がっていたものは、どれだけ遠く離れても相互に影響が与えられ続けのだ。なんだか「君の名は。」みたいな話で、自分がこれをロマンチックと言ってしまうのは、すこし気持ち悪い気がするが。「運命の二人」なんてものでなくてもしても、我々はいつだってたくさんの誰かとESR相関を結んでいるのではないのか、と思う。噂をされるとくしゃみが出るように。ハロウィンで隣にいた友達からの言葉をきっけに僕がこうしてブログを書いているように、仮装している誰かの写真を撮って僕があとでinstagramにあげて誰かから「いいね!」をもらうように、誰かの何気ない行動に僕は影響を与えられていて、そんなふうに貰いっ放しじゃ申し訳なくて、誰かから与えられた影響が僕を通して発露するとき、その影響の元にも何かしらの変化が起きていたらいいのにな、と思う。時空は超えることが僕らはできないので、もしかしたら結果は同時でなくてもいいから、遅れてでも影響の元になった人たちに何かが還元されていてほしい。

 

 ちなみにハロウィンのときに撮影した写真は全然よくなかった。僕は知らない人の写真を撮ることが苦手であるようだ。初対面の人の写真を撮ることも苦手で、ある程度の信頼関係が構築されないと、相手の家に土足で上がり込んでいるような気がして、撮影していて気持ちが悪い。そんな気持ちで撮影した写真からは僕の心がノッていないことが伝わる。だけれどもせっかく現像したのだから、下手くそな写真だけれども、Facebookにアップした。最近、Facebookの仕様が変更されて、イベントへの導線設計が丁寧になった。そうやってイベントごとが可視化されて、痛感するようになったのだが、東京にはイベントが多過ぎて、イベントに行く気がなくなってしまうところがある。イベントが同時多発的に起こりすぎてて、イベントに飢える気持ちがなくなって、イベントを逃したときの悔しさも減った気がする。この祭りを逃しても、明日にはまた新しい祭りが来る。まるで東京は情報が氾濫している、インターネットみたいだ。音楽のパーティーをやめた理由も行かなくなった理由も似た理由だった。東京には豪華なメンツのパーティーが連日のように繰り広げられていて、豪華なメンツのパーティーにも何も感じなくなってしまったのだ。東京はハレの日ばかりで、ハレの日がハレの日でなくなってきている。気づいたら、ハレの日よりも、曖昧な曇りの日の方が愛しく感じる。非日常な体験をすることがクールじゃなくなってきている気がするのだ。それよりもやろうと思ったら、いつでもやれることををやる方が、誰でもいつでもアクセスできるのに、情報の海に溺れてアクセスしてなかったものを選ぶことのほうがよっぽどクールな気がするのだ。ホテルで朝食バイキング食べたりとか、予定が空いた日に突然、旅行に行ったりとか、そんな拾われなかった可能性を選び取るほうがかっこいい気がする。日常の延長戦上の可能性を選び取りたい。ハロウィンを冷めた気持ちで見てしまうこと、ハロウィンのときに撮影した僕の写真が全然よくなかったことの理由にはそんなこともあるのかもしれない。11月の頭に平日の朝から、美味しい朝ごはんを食べるためだけに遠出したとき、通勤して街に出る人たちと逆流して、空いてる電車で目的地に向かうのは社会から自分が零れ落ちたように感じて、少しだけ気持ちがよかった。あーでもこーでもなくとそんなことを文章を打っていたら、レイトショーの上映時間が過ぎ去っていた。こうやって僕はモノも話題も散らかすのが得意だけど、整理が苦手で、頭の中はいつもこんな感じだ。だから、整理が得意な人にいつも話して、僕の代わりにまとめてもらっていて、そんなふうにまとめてもらうことに申し訳なく思っていたのだけれど、もしかしたら渋谷のスクランブル交差点よろしく、分散というアクションがあるから、整理というアクションも発生する訳で、何かを前に進めるためには、ドラマを生むためには、散らかすことも大事なのかもしれなくて、そう考えれば、自分がやっていることにも意味があるのかもしれないと思った。こうやって文章を打つことが誰かと相関関係を結ぶ、きっかけになればいいのだけれど。映画も観れないことだし、そろそろ家に帰ることにする。

 

f:id:rikky_psyche:20161104020350j:plain

テクノロジーが世界を覆うことへの違和感からデザインは生まれた。

 今、僕は新幹線の中で暇になったので文章を書いている。いきなりだが、自分のアイデアなんてしょうもないもんなんだけど、僕がビジコンやら何かしらのプレゼンやらで自分のアイデアを作るときのマスト事項の一つとして、「課題になってるものの歴史を調べる」ということがある。最初は見本のようなプレゼンをする人がもれなくスライドに歴史を調べたことが書いてあったから始めたんだけど、今では絶対に課題に関するものの歴史を必ず調べるようにしてる。そして歴史を調べることはなかなか面白い。自分の今の生活では当たり前になっているものがどういう経緯で生まれて、広まって来て、今も残っているのか知るだけで、何気なく普段は見過ごしているものの奥に深い歴史を感じることができる作業だから。と同時に、今では生まれてから時が経ち、様々な装飾が付いて本質が見えなくなっているようなものの歴史の始まりを知ることで、「本質とはなんぞや」ということを知れるのも楽しい。

 という訳で僕は、気になったものの歴史を調べることが好きなんだけど、新幹線の中で友達に勧められた本を読んでたら、デザイン誕生の歴史について書かれていて面白かった。

下記引用

「テクノロジーが世界を新たな構造に組み換えようとするとき、それまでの生活環境に蓄積されていた美的な価値は往々にして犠牲になる。世界は技術と経済をたずさえて強引に先に進もうとし、生活の中の美意識は常にその変化の激しさにたえかねて悲鳴をあげるのだ。そういう状況の中では、時代が進もうとするその先へまなざしを向けるのではなく、むしろその悲鳴に耳を澄ますことや、その変化の中でかき消されそうになる繊細な価値に目を向けることの方が重要なのではないか。
デザインの発生は、美術史家ニコラス・ペブスナーがその著書『モダンデザインの展開』でも紹介しているように、社会思想家のジョン・ラスキンや、同じく思想家であり芸術運動家であったウィリアム・モリスの思想がその源流と考えられている。その源流を辿ると150年ほど前に遡る。「19世紀の半ば、イギリスは産業革命によってもたらされた機械生産で活気づいていた。しかしながら、初期の機械製品は、王朝装飾のなごりを残す家具調度のたぐいを「不器用な手」である生産機械が模するものであり、あまり胸のすくような造形物ではなかった。1851年のロンドン万博の資料を散見するとその様子が想像できる。手仕事が長い時間をかけて磨きぬいてきた果ての「形」が機械によって、浅薄に解釈され、ねじ曲げられ、異常な速度で量産されていく。そんな状況を目の前にしたとき、自分たちの生活や文化に愛着を持つ人々は、何かを失ってしまう危機感と美意識の痛みを感じたようである。粗雑な機械製品なヨーロッパのデリケートな伝統文化に抵抗なく受け入られるものではなかった。結果としてそれは、手仕事が育んできた文化やその背後にある感受性をむしろ顕在化させることになる。ものの周辺に息づいている繊細な感受性を踏みつけにして前に進もうとする機械生産に「我慢ならぬ!」とき鼻息も荒く異議を唱えた代表者がラスキンやモリスである。彼らの活動は乱暴で性急な時代変革に対する警鐘でありブーイングであった。つまり生活環境を激変させる産業のメカニズムの中に潜む鈍感さや不成熟に対する美的な感受性の反発、これがまさに「デザイン」という思想、あるいは考え方の発端となったのである。」 

普段、何気なく捉えているデザインって概念が誕生したのってたかだか150年前なんだね。ていうか、そもそもデザインって世の中を覆っていくテクノロジーに対抗していく中で生まれた概念なのね。自分が生きている中でテクノロジーが世界を覆っていくこと流れに抗うことは、空気が読めてないみたいに感じてしまうことが多い。けれども、そのような経緯で生まれたデザインという概念に今の世界が如何程に影響を与えられたかを鑑みれば、空気を読まずに違和感を形にすることも大事だなーと思った。

移りゆく世界は間違っている可能性もある。何気なく受け止める日々の流れにも疑問を持つことも大事なのかもしれない。

 持っていた本を読み終わり、窓から見える景色にも飽きて来たので、新幹線で暇になったので読書感想文を書いてみた。ところで夕暮れに新幹線からの景色を見ていると、普段は意識しない夕暮れの空の変化を感じれて面白い。普段はスマホでデジタル時計で時間を把握してるので、そうしていると時間はきっちりかっちりしたものに思えるけど、夕暮れを見ていると昔の人にとっては時間なんて印象派の絵画みたいにおぼろげなものだったのかなんて思う。移りゆく世界には多様な見立てがある。

特に言いたいこともなくなったので、あとは目を瞑って、東京に着くまで待ちます。

f:id:rikky_psyche:20161024212658j:plain

 

気持ち良い奴になるまでは超かかる時間、1,2,3年じゃ足りない。

 先日、内定式で非常に困った問題にぶち当たった。ネクタイを締めずに行って、内定式の前に締めようと思っていたのだが、便所で気づいたことは「自分はネクタイが未だに結べない!」という悲痛な事実だった。就活のときは面接の朝は同居人に結んでもらっていたことを忘れていたのだ。みんな、ネクタイってどうして結べるのだろう。いつ結べるようになったんだろう。「みんな、人生のどのタイミングで履修いたのだろう」みたいな履修漏れが僕は多い。ネクタイも結べないし、タバコも吸えないし、風船も膨らませられない。結局、その日は内定先で働いてるおかげで、知り合いが多いので、上司にネクタイの結び方を教えてもらった。

 

 話は変わるが、そういう訳で内定先の会社で僕は働いてる。こないだ上司が忙しかったこともあって、UX系のイベントの参加枠をもらい、急遽参加した。そのイベントでは、永遠の命題でもある「そもそもユーザーにとっての気持ち良さとは何か?」という話が語られていた。その話を聞いていて「どうしたら相手を気持ち良く出来るんだろうか?そもそも相手にとって気持ち良さとは何か?」という課題は何もUXに限った話だけじゃなくて、普段から分からなくて困っていることだなぁ、と思った。

 

 いつからか、浴槽に入ると、いつもその日の自分のコミュニケーションを思い返すようになった。「あそこはこういう言い方にすればよかった」とか「あのときはこういうことを言えばよかった」とか「あのときは喋っちゃダメだった」とか、その日の中でもっと上手く振舞えたであろうタイミングのことを考える。自分は普段のコミュニケーションで自分の気持ち良さを優先してしまいがちで、相手の気持ち良さとか場の気持ち良さとかに思慮が回らながちだから、毎日反省することは多い。一つ一つのコミュニケーションでのミスは些細なことだけど、過去に戻って、コミュニケーションをやり直すことができたら、いつも風呂場で思う。

 そんなことを考えながら風呂場から出ると、少し前に友達にした連絡がひどく自分勝手なものに思えてしまい、「なんかいつも思いつきばかり連絡してしまって、ごめんよ」と言い訳のような連絡をしてしまった。じゃあそもそも最初から思いつきばかり連絡するなよ、という話なのだけれど。気持ちのいい奴になるまでは時間が超かかる。コミュニケーションはいつだって難しい。

 

 仕事を人に振るのも、すごく難しい。せっかく一緒に仕事をしているのだから、みんなに気持ち良く仕事をして欲しいと思う。だから、仕事でぱつってる同期を見ると。複雑な気持ちになる。こないだもそういうことがあって「もっと人に頼った方がいいよ」って話をしたのだけれど、頼られまくると自分も共倒れするし、頼られる関係じゃない人に頼られるとイラッとすることもある。だとすれば、そもそもこちら側が頼っても大丈夫というコミュニケーションを行えてないところにも問題があるのかもしれない。頼る/頼られるの関係性においても、両者が気持ちいいと感じる折衷点の定義は難しい。

 一方、これまでの僕は、というか今でもそういう節がまだまだあるのだけれど、まだまだ人に仕事を振るのが苦手だ。「全部自分が巻き取った方が一緒に仕事をやっている人たちの仕事が減るし、それが最もメンバー内での負を生み出さないで済むのではないか?」とついつい考えてしまう。相手にとって、仕事をしないことが望んでいるとは限らないのに、ついついそうやって考えてしまう。別の見方をすれば、これは相手から成長の機会を奪っていることになるし、巻き取られた側からすれば信頼されていないように見えてしまうし、巻き取ってしまうのは必ずしも良いことでないことは重々承知の上だけれど、それでも思考の癖はなかなか抜けるものではない。少しずつ、こういう考え方の癖も直していきたい。

 

 先日、長らく連絡を取ってなかった人から「リッキーにこれを読んで欲しくて」とその人が書いた文章が送られてきて嬉しかった。その文章は僕がこの頃、SNSでは言及しなくなった音楽にまつわる文章だったのが余計にグッと来た。

 またFacebookにあげた僕の写真を見た会社の上司に撮影のアドバイスをもらった後に「俺の貸したフィルムカメラでも早く写真撮って見てよ。どうやって使うか気になる」と言われたことも嬉しかった。

 この文章を読んで何を思うだろうかとか、このカメラをどうやって使うだろうかとか、そんなふうに他人に可能性を感じてもらえることは嬉しい。自分もそんなふうに誰かに可能性を感じてことを伝えて、何かを励ませることができたらいいのに。

 

 他人の気持ちを読み取るのが苦手なので、自分のことしか考えられないので、まだまだ時間はかかりそうだけど、誰かの涙をハンカチでそっと拭き取いて、なんならそのハンカチで芸が出来るぐらいの人間になりたい。さらっとそういうことが出来る人はハンカチの使い方、いつのまに履修したんだろう。今日も風呂でそんなことを考えてたら、長風呂になってしまい、布団に入るのが遅くなって、寝不足になってしまった。僕は風呂の正しい入り方も履修し忘れている。

 

 

PS

こないだ都心の真ん中の空き地でキャンプをしたり、高層ビルの屋上でパーティーをしたりした。都市には僕が知らない遊び方がまだまだある。この話も早いところ、ブログに書きたい。

f:id:rikky_psyche:20161023131712j:plain

 

口で伝えられる物語のように移ろい行き、溶けて幻に似た何かに近づく記憶の将来について。

 先日、夜中に友達が口笛を吹いていた。聞き覚えのある曲だったので、自分も口ずさみ、歌詞を当て嵌めてみると「真夏のピークは去った、天気予報士がテレビで言ってた」って言葉で「そういやもう秋か」と気付いた。翌日、雨模様の仕事の帰り道が半袖じゃどうにも寒くて、そのときのことが頭の中でぼんやりと思い浮かんでパーカーを買って帰った。

そんなふうに気付いたら夏は終わっていた。今年の夏はいつもの夏より多く働いて、いつもの夏より沢山お金を使って、いつもの夏より少しだけ遊ぶ回数は少なかった。確かなことは、いつもの夏より忙しかったこと。めいいっぱい会社で働いて、めいいっぱい友達と遊んだと思う。疲れたけど楽しかった。
ただ、疲れているせいか、日常生活で起きること、向き合わなきゃいけないことを投げ出してしまいたくなるときがこの頃、度々ある。仕事でやってることは投げ出す訳にはいかないからだろうか。そしてたまに実際、対処せずに投げ出してしまったりする。つい先日も小さなことだけれども、耐え切れずに投げ出してしまった。あとから振り返ると自分が嫌になる。これからは投げ出す人を見ても優しくしようと思ったし、何もかもを投げ出さない人になりたい。もしかしたら自分が何かを投げ出すとき、周りはそういうふうに気を遣ってくれていたのかもしれないと思った。
日常生活でも、仕事でも、周りの人の言葉や身振りの見えない意味に、僕はいつも後で気づく。自分が後輩の就活相談に乗っているとき、職場でメールの添削をしてもらっているとき、Messengerに残ったさりげないやりとりを見返したとき、僕が到底気づかなかった見えない意味にいつも後で気づく。UXのいい人間にいつか自分もなれるのだろうか。という訳で学生生活最後の夏は社会人に向けた助走のような形で終わりを迎えた。大学生活が終わりに近づき、思い浮かぶのは高校時代のことである。どのような形で終わりに向かって走っていたのだっけ、と思う。大学受験のこともあったし、そんなに青春を全面肯定するような日々ではなかったことは確かだが。
 そんな「君の名は。」を見てもピンと来ないような生活を過ごしたような僕が最近、毎月楽しみに読んでいる高校が舞台の漫画が「うちのクラスの女子がヤバい」だ。
 

f:id:rikky_psyche:20160927122630j:plain

 

この作品を僕は毎月最も楽しみにしているのではないだろうか。ストーリーをまずは公式サイトから引用しよう。

1年1組は、どこにでもある普通のクラス。
だけど、他のクラスとはちょっとだけ違うところがありました。
なぜなら、女子生徒の大半が、「無用力」と呼ばれる思春期だけしか使えない超能力を持っていたのです――。
年頃女子はいろいろへんてこだったりするけれど、そんでもって年頃男子は振り回されたりもするけれど、それがフツーで、みんなかわいい。
衿沢世衣子が描く、思春期限定・ちょっと不思議なハイスクール・デイズ。

衿沢世衣子作品は「天心モナカ」あらため「シンプルノットローファー」を高校生のときにQuickJapanで読んで以来だ。「シンプルノットローファー」は何の変哲もない女子高に通う生徒達の、何気ない日常の欠片の物語なのだが、当時は全く面白いと思えなかった。そこで描かれる日常が僕にとって何も特別なものではなかったのではないだろうか。

といったふうに思い入れのある作家ではなかったのだが、新作「うちのクラスの女子がヤバい」が滅法面白い。作品の中で描かれる日常の機微が今の僕には失われた感情、いやそれどころではない、忘れ去ってしまっていた感情や言葉であるからだ。

学校のクラスメイトと距離を感じてしまい「学校選び間違えたかも」と漏れる言葉、いきなり告白されるも自分の心が動かなくてがっかりする気持ち、恋したいと思っていた自分にない気持ちを自分に告白してきた相手は持っていて「ずるい」と思う気持ち、「あの席、楽しそうだね 」という周りからの言葉。

どうしてこの作者はこんなにも高校生のときの気持ちや雰囲気を覚えていれるのだろう、と羨ましく思う。

また前述のあらすじにもあった無用力という設定も素晴らしい。イライラすると手がイカになってしまう、「かわいい」と思うとウサギの着ぐるみになってしまう、握ったおにぎりを食べた人の記憶が少し消えるなど、などなどどうしようもなく、くだらない能力ばかりなのだが、この無用力という設定が思春期特有のコントロールできない自分の体や心のアンバランスさのをメタファーとして見事に機能している。もちろん思春期特有のそういったアンバランスな状態を超能力として描くというのは使い古された設定ではある。スティーヴンキングミザリーを書いたのは、もう40年以上前の話だし、既に30年前に超能力学園Zによってコメディーものとして描かれている。だが、この作品の超能力学園ものとしての気持ち良さはその能力が役に立たないこと、またそれを当たり前のものとして周りが受け止めていることではないだろうか。周りの人は驚きはするものの、日常の何気ない一コマ、当たり前の個性として無用力の発現を受け止める。自分の個性というものは周りに受け止められるものなのだろうか、と周りが気になってしまいがちな思春期。そんな年齢において「飛び抜けた個性である無用力が日常茶飯事として流されること」はこれ以上の肯定はないぐらいの肯定なのではないだろうか。だからだろうか、不思議と心地いい高校生活に思える。そして、漫画で出てくる彼らと一緒に時を過ごしたい、と思う。そんな無用力もいずれ消えてしまう運命にある。彼女たちは卒業すると、無用力が消えてしまうのだ。青春の儚さ、私たちに許された特別な時間の終わりのメタファーとして、無用力は見事なのである。

f:id:rikky_psyche:20160927121535j:plain

f:id:rikky_psyche:20160927121546j:plain

f:id:rikky_psyche:20160927121558j:plain

 

こうやって高校時代のことを思い返していると、いかに当時が特別な時間だったかを思い知る。これから大学を卒業して、まだ見ぬ誰かと出会って、まだ知らない場所に行って、これまで重ねた時間の記憶が少しずつ書き換えられたとき、僕の周りにいる人たちと出会ったときの頃から、今のこの気持ちまで、ずっとずっと後になって、どんな風に覚えてるんだろう。願わくば、今、こうやってキーボードを打っているときも、忙しく働きながら遊んだ夏休みも、会わなくなった誰かと過ごした日々も、特別な時間だったように思っておいてほしい。その頃はUXのいい人間になれてるといいな。

 

PS

こないだ江ノ島に行ったとき、たくさんの写ルンですを持って行った。大人数で遊ぶ時は写るんですを何個も買って、数人に渡しておくと、満遍なく皆の写真が撮れるし、そこそこ青春っぽい雰囲気が増すので、オススメ。あと自分が撮ってない写真を現像するのもドキドキして楽しい。後輩から「青春っぽい写真ですね!」って言われて嬉しかった。何歳になっても今のこのエモさを忘れないでおきたい。

f:id:rikky_psyche:20160926214200j:plain

f:id:rikky_psyche:20160926214218j:plain

f:id:rikky_psyche:20160926214231j:plain

f:id:rikky_psyche:20160926214241j:plain

STOP, LOOK, LISTEN/スマーフ男組

自分の趣味の一つにデータで買った曲なので歌詞カードがなく、更にググっても歌詞が分からない曲の歌詞を書き起こすというものがある。書き起こすために繰り返し聴いて、スマホやパソコンで打っていると、その曲や歌詞が身体化されていくように感じるのもあって、この行為自体をなかなか愛でている。今日はスマーフ男組というアーティストのSTOP, LOOK, LISTENという曲を書き起こした。何度聴いても、分からないところも沢山あるけれど、分からないままというのもそれはそれでありな気がする。めちゃくちゃ好きな曲なので、せっかくだからブログに残しておく。

 

YouTubeを再生しながら読んでもらえれば、と思う。


スマーフ男組 | STOP, LOOK, LISTEN

 

STOP, LOOK, LISTEN/スマーフ男組

 

朝起きて、コーヒーの換え置きがないことに気付く

酷く、くだらない

どうしても髪が跳ねる

セーターが気に入らない

肩こり、目薬、余暇とロック

 

太陽の日、ときどき雨の日

帽子を被って、帽子を脱ぐ

傘を忘れる

ウキウキしたり、風邪をひいたり

チーズを齧って、酔いつぶれたり

 

サッカーを観て、音楽を聴く

ときどき「ファック」と口にする

女の子はダイエットをする

男の子はセックスのことを考える

 

膝を抱えて、ニュースを見る

ときどき戦争が始まる

変わる、変わらない

 

腹を立て、途切れる

世界と途切れる

僕が途切れる

僕は途切れる、千切れる

揮発する物語、端から希釈されて

 

出来ないことがある

自信満々で、なのに

引き算が恨めしい

 

へし折れる

 

自分を踏み出せず、見る前に、飛べない

怯える

 

車に轢かれたシュークリームみたいに最低の気分

ベッドとソファの大きさの部屋

温かい、けれども苦い部屋

ゴミ箱に、山のようにビールの空き缶、山脈を築く

 

歩かず、走らず、笑わず、木も森も見ず、待つ

視野(?)に暮らし、やがて弛緩する

胸を沈殿する歌詞、混濁、混迷

錆びついてしまった僕の全盛

僕の鼻、僕のアゴ、僕のエゴ

 

消え入りそうで、とてもじゃない

夜に溶けたい、夜になりたい

午睡を終えたライオンのように克服できない恐怖

その刹那、昼が眠り込け、夜が目を覚ます時間、青い時間

 

コーヒーを飲もう、小銭を数えて、服と髪をコーデする

ドアをこじあける、鍵を開ける

盛大な爆発音

きっと開く

空気は

 

空気は

街の空気は

風は、肌をつたって、撫でて、泡立ち、波立って

どの軒先にもとりどりに花

 

伸長する道、路地

街が、僕に浸透する

僕が、街に浸透する、伸長する

 

世界が僕をあらしめる

だから、僕が、世界をあらしめる

世界と和解

 

世界と和解

 

レコードをやめて、世界を聴く

本を閉じて、世界を開く

テレビを消して、世界をつける

 

歩く、散歩、公園

葉の形、色、膨大な情報量

水面、驚きに満ちた波紋

 

太陽が祝福する

 

ベートーヴェンピアノソナタ、第30番、作品109

 

陽射しにトーストされたアスファルト

早朝のビデオレンタル屋で受けとるアイスチョコバー

乾燥機のミント

皿を洗って、またパスタを作る、安上がり

焼きトマト

ストライキ、おしまい

コロッケ、食べよう

 

のっきぴきならない、透き通るような場が

神様、呆れ果てるか

シュテルバウンド(?)な季節

神様と恋人に

 

あたらしい今日と僕のニューダイレクション

うちの店(?)

ワッチューシーイズ、ワッチュゲッタン、ディシップ(?)リブ

見るものが得るもの、見たものが得たもの

暮らしを暮らし、歩みを歩く、笑いを笑う、泣くときゃ泣く

僕の踊りを、踊ろう

 

何を今さら、必死に

やんぬるかな、禁止

ペシミズムとニヒリズムを置き去る

速度を走る、走らせる

 

ソーシャライズギッタン、社会化

帰ってきた、ここに

交われど、マジアレ太カヒRAW

唸る、八百屋のカウベル

虹のような気炎を上げ圧倒

ダンバイロウ

相棒はコンピューマとアキラ・ザ・マインド

スマーフ男組

 

f:id:rikky_psyche:20070828225143j:plain

 

ついでに件のアーティストであるスマーフ男組に関する情報はあまりネットに落ちていない。ただスマート男組のメンバーが書いた、彼らの結成からの物語に関するテキストはほうぼうで見かける。このテキストが僕はたまらなく好きでよく読み返す。自分の知らない歴史を知ることは楽しい。せっかくだから、そのテキストも転載しておく。

スマーフ男組は、好事家の目を白黒させ、また、じゃぶじゃぶ泳がせた音響派ユニット、短命に終わったアステロイド・デザート・ソングス(以下ADS*1)の活動休止をもって97年に結成、その七夕の夜に、勢いで命名された。

いや、記述に正確を期すのであれば、ADSは97年の12月8日に表参道の喫茶店で活動休止の結論へといたるミーティングをもったのだから、結果からいえば、ADSとスマーフ男組は半年かそこいらのあいだ並存したことになる。

また、スマーフ男組のルーツをさらに辿ってみるなら、それは、95年の12月14日に下北沢SlitsでおこなわれたギグにADSのメンバーであった高井康生(Ahh! Folly Jet)が出演できなくなったことから急ごしらえに準備された、M+M Production(*2)という2人組による出しものの、そのユニークな冒険に端を発したものだったことを頭にいれておいてもいいだろう。

 

スマーフ男組というネーミングには当初、「男組」を「男闘呼組」で表記しようや、という案もあったのだが、それはさすがにやりすぎだとマジアレは思いとどまった。そのことにいま、私たちは胸を撫でおろすほかない。

メンバーは、マジアレ太カヒRAW(村松誉啓,MCとたくさん担当)、コンピューマ(松永耕一,ターンテーブルとたくさん担当)、アキラ・ザ・マインド(高橋啓,鍵盤とたくさん担当*3)の3人。

「男組」の二文字にははじめ、あたかもPファンク・モブのように入れかわり立ちかわりメンバーを迎えいれる不定型のあつまり、ということが企図されていたが、幸か不幸か、現在にいたるまでこの3人のならびは不動のものとなっている。

3人は集まるとたいがい、缶ビールを開けながら、互いのウエストにひっついてくるようになった贅肉について意見を交わし、ゲラゲラ笑いあう。

ずうっと、そうだ。

 

それでは、スマーフ男組の履歴から目だったところを拾いあげてみることにしよう。

彼らはまず97年、ムードマン主宰のパーティー「低音不敗」(@西麻布クラブ・ジャマイカ)にレギュラー出演、これがオルタナティヴなマイアミベースのコンピレーション盤『KILLED BY BASS』への参加につながっている。

そこに収められた4曲が、スマーフ男組の処女レコーディングの成果となった。

『KILLED BY BASS』では、“八百屋”(ローランドのTR-808リズム・マシーン)のキックのディケイを伸長したサイン波の手前の音色によるWeird(奇妙)な「トルコ行進曲」、コンピューマによる斬新な、ヒップホップとマイアミベースと音響派との、うたう折衷案(“Basscillotron”)、オールドスクール・ヒップホップへの直截なオマージュ(“Phase 2: Roxy”)、失敗作ですってんころりんこけてるけれども、Pファンク・オールスターズのグルーヴを援用してものにしようとし、おまけにアキラ・ザ・マインドが犬を思う存分、鍵盤上に転げまわらせてみたもの(“Hydrauric Pump”)などが聴かれる。

 

ついで98年、彼らは、TPfX(ヒップホップ最高会議の千葉氏)、脱線3、荏開津広らと「エレクトロ・サミット」(@恵比寿みるく他)を企画、その大幅な発展形ともなったエレクトロ・ヒップホップのコンピレーション盤『ILL-CENTRIK FUNK VOL. 1』に“E・L・E・C・T・R・O 〜スマーフ男組の808 MYTH APPROACH〜”(*4)を提供。

また、同アルバムのリリース・ツアーでは、伝説のラメルジーといっしょのステージを踏むこととなった。

ADS時代からひき続き、このころまでに築かれてきた交友、そこから連なり拡げられた環境が、いまもかわらず、スマーフ男組の活動のバックグラウンドとなっている(もちろん、デイタイムに大手外資系CDショップでバイヤーをつとめるコンピューマのつちかってきた、ロス・アプソン山辺圭司らとの長きにわたる親密さなどがそこにふくまれることも……これはいうにおよばないが)。

 

さらに時期を前後し、スマーフ男組は三宿WEBにて月1のレギュラー・パーティー「スマーフ渚をわたる」を立ちあげ(*5)、以降も、DJ、ライヴ、数枚のコンピレーション盤への参加を経て、彼らのアイドル、アフリカ・バンバータとの対談などもこなしつつ(『エレ・キング』誌上)、現在、2003年の彼らは、5年越しの(だから労作、としかいいようのない)デビュー・アルバム『スマーフ男組の個性と発展』(*6)をやっつけんと、まい進中である。

 

ところで、2000年以降、ここで触れるべきトピックの数が限られてくるのは、彼らが、分をわきまえず「とにかくアルバムづくりに精進するため」として幾多のオファーを断ってきたからである。これは事実だ。

が、しかし。そう書いておけばすこしは聞こえがいいだろうかと私に余計な気をまわさせる状況に彼らが甘んじているのも、これまた事実といって相違ない。彼らがかつての相方、Ahh! Folly Jetの美しいアルバム、2000年にリリースされた『Abandoned Songs From The Limbo』に後塵を拝すること3年あまり、だ(以前、私がマジアレに『Abandoned Songs… 』のテスト盤のCD-Rを聴かせてもらったときに、その盤面にマジアレの手書きで、赤いフエルトペンででかでかと“負けないぞ!”と書いてあったことを思い返すと苦笑を禁じえなくなってくる)。

けれども、ここでは強調しておかなければならない。とにかく彼らは、たしかにときどき弱音を吐くけれども(とくにマジアレは)、いつだって音楽に対し真摯な態度をたもとうとしてきた。安心してほしいのだが、私の知るかぎり、彼らはそうしてきたと思う。

彼らがせっせと水をくべて「育て育て!」と叱咤してきた果実は、デビュー・アルバム『スマーフ男組の個性と発展』の音楽にあますところなく収められ、聴きとれるものとなって実を結ぶことだろう。

いま、2003年8月末において、『スマーフ男組の個性と発展』のための曲はすくなくとも11曲、ミックスダウンを終えている。マジアレによれば、そのアルバムのなかで「ラスコーリニコフがコロッケを買いにいったりする」らしいが、私にはなんのことやらわからない、まあ、期待して待とうではないか。

 

スマーフ男組の個性である、どんぐりまなこのエレクトロ・ヒップホップらしきものは、聴き手を瞠目させ、微笑ませる。

いいかえれば、彼らのチップマンク声=マンチキン声=チビ声とリズム・マシーンへの偏愛はほかにはなかなか例をみないもので、だからその姿は、オールドスクール・エレクトロの快活さを現代のポップの地平へ押しあげようとやっきになっている働きものの青い小人たちのようでもある。

まあ、さんざ周囲をやきもきさせていることからもわかるよう、かなりぐうたらなところもある……マジアレの口ぐせは、なんということだろう、「ぐずぐずしてすみません」(*7)だ。あにはからんや! こののらくらものめ! が、しかし。

いずれにせよ、彼らはその代表曲“808 MYTH APPROACH”で唄っている、「俺たちゃスマーフ男組/寝ても覚めてもエレクトロ」! マジアレに、なにゆえエレクトロかと問うてみたことがある。彼はしばらく考えてから私の目を見て、つぎのようなことを話した。覚えているまんまに書き出してみよう。

 

「うんやっぱり、エレクトロ・ファンクはかなり楽天的な世界観というかな、とてもアホウな──でも、真実の欠片とみまがうようなものがころがってる、そうしたものを、僕たちにかなり突拍子もないかたちでだけれども、示してくれるからなんだと思う。それで首たけなんだと思う。

むしろ、突拍子もないからこそ、惹かれるのかもしれない。

いきすぎだから、なのかもしれない。ええっと、僕が最近ふだん部屋でなにを聴いてるか知ってるかい? セシル・テイラーだぜ!? でもね、だけどやっぱりね、ああいうやり方をもってしても、エレクトロって音楽にも、すごく強度があると思うんだ。

セシルのそれとは似ても似つかないけどもさ。

ヒップホップの人がしばしば“半端ない”っていうでしょ、だけどやっぱ、スマーフは半端なのね。でも、エレクトロは半端じゃない。

そのチーパカチーパカいってるようなフォルムを自在に手なずけてだよ、僕たちスマーフ男組はポップへと突きぬけるんだ! 808命! チープ上等! ブンチキパッドゥンチキブンパドゥン」。

 

おなじく、“808 MYTH APPROACH”。

「カザールのメガネはコンピューマ/そんでアキラはマインド,アキラ・ザ・マインド/ミー,マジック・アレックス,小市民オン・ザ・ビート/ミーは808のヴァーチュオーソ,スマーフはエレクトロのマエストロ/渋谷,恵比寿,新宿,東京,声がかかれば,すぐにエレクトロ」……。

そこにぺてんはない。

いんちきはない。

彼らの口をついてでる「ロックする」というオールドスクール・ヒップホップの常套句はそこで、クリシェでなくなる。

それは言葉遊び以上のものだ。

そして、彼らはリー・ペリーのスーパー・エイプのように帰ってくる。

コンピューマは、猫背をすこし伸ばして「いえい!」といいながらターンテーブルとエレクトロニックなイクイップメントの電源を入れるし、アキラ・ザ・マインドは「ニャハハ!」と笑いながら、しかし冷静に鍵盤を、張りきった弦を、確実にたたくだろう。

心配なのはやつだマジアレだ、が、彼もきっとどうということもなく、「イエース、イエース!」だとか「ジー・ベイビー!」と口ばしりつつはしゃいで、マイクのケーブルにぐるぐるぐるぐるからまって笑うだろう。

スマーフ男組は、あたらしいリリースをもって、あなたがたを、私を、ウキウキさせる。ロックさせる。楔をいれる。躍らせる。踊らせる。

 

 

この一文は、私のためにときどきまあまあなパスタづくりの腕をふるってくれる(*8)、つかず離れずのつきあいを長なが続けている友人のマジアレに、「プロフィールだ、忌憚のないところを書いてくれ」と依頼されたもので、それにしては書きあげたあとに彼から、「この表現はまずいな」、うんぬん、すいぶん水を差されもしたものなのだが、しかし私はがんとして、書いたものを譲らずにおいた。

そのことが、これを読まれる諸兄の、スマーフ男組をさらに理解する一助となったならさいわいに思う。

また、マジアレについての記述が多くなってしまったことについてはここでお詫びしておきたい。

 

text:スティーヴン・スキムミルク(脚注とも)

関係者から筆者への苦言(とか)

 

「ちょっとやりすぎたようね」

   ──メンバーの恋人のひとり

「スティーヴンのやつ、ほら、俺がチャーリー・パーカーマイケル・ジャクソン谷岡ヤスジとおなじ誕生日だってことだけはちゃんと書いとけっていっといたのに……」

   ──マジアレ太カヒRAW

「バーカ! こんな原稿、プレスリリースに使えるわけねーだろ。バーカバカ! ギャラなんて払うか!」

   ──現スマーフ男組A&R,スティーヴンとは旧知,小林弘幸

「僕たちはなにか大きなものを失いかけてるような気がします」

   ──スマーフ男組のビックリ・ビートBBS管理人,レイ氏

「労働するとき、あなたは心のなかにフルートをもっている。そして時のささやきが音楽となる。世界がいっしょに歌っているのに、石のように黙りこくっているのは誰の笛?」

   ──カリル・ギブラン

「真の自己とは、自身の外にあるものです──やたらに自分のなかにもぐりこんで聞き耳をたてるのではなくて、世界が自分にさしだしてくるものに気づくこと」

   ──ミヒャエル・エンデ

「あの、ちょっと情緒的にすぎるんじゃないですかね。こんなふうに書いてマジアレを甘やかすような人がいるから、スマーフはいつまでたってもアルバムが出ないんですわ。なんかもう堂々めぐりですわ」

   ──コンピューマ

「ニャハハ!」

   ──アキラ・ザ・マインド

   

*1 ADS

94年12月8日のパーティー「Asteroid Desert Songs」(@西麻布M. MATISTE)を主宰することより活動を開始。“Asteroid Desert Songs”とは当初、バンドもしくはユニットの名というよりも、パーティーそのもののこと、そしてそこでおこなわれた電子音響、ギター、ターンテーブル、打ち込みなどによる、いわゆるセッションのことを指して、そう呼ばれていた。メンバーは高井康生(Ahh! Folly Jet)、松永耕一、村松誉啓、のちに高橋啓を加えた4人。代表作はアルバム『'till your dog come to be feed』。ADSの音楽について記すことは、またべつの機会にゆずりたい。その紹介を過不足ないものにするには、費やすべき紙幅がおおきなものになりすぎるのだ。ADSを、その音楽を、ひと筋縄でどうにかできるものじゃない(後年、初期のセッションを振りかえって高井は述懐した……「ええっと。ジャーマン・マイアミ」!)。なんていうか、ADSにくらべたら、スマーフ男組なんぞ可愛いものなのだ。ただ、ADS結成時に高井、松永、村松の3人を結びつけた要因が、彼らがみな一様にヤン富田のアルバム『Music For Astro Age』に、まったくの掛け値なしでいかれていたことにあったという、そのことだけ、ここで触れておくことにしよう。

 

*2 M+M Production

がっかりしないでほしい、しかしそれはみなさんの推測のとおり、松永と村松だからMとM、という安直な命名のもとあつらえられたユニットだった。この日のパフォーマンスは、SONYの携帯DATレコーダーで克明に記録されていて、そのDATはいつか陽の目をみるだろうことを見越して、すでに、コンピューマによって、マイルス・デイヴィスのライヴ・レコーディングにおけるテオ・マセロばりの注意深い編集が加えられたものが、準備されている(タイトルは『M+ M Goes Bazerk!!!!! 』。コンピューマの、エディターとしてのクレジットは“ませろ松永”になるだろう)。そのレコーディングがなされた日、DJブースとSlitsの小さなステージで、マジアレとオシロトロン(現コンピューマ)は、文字どおり、吠えている。その音楽が、いくぶんのからかいをもふくめ、もしもヒップホップだと呼ばれるなら、これほどパンクなヒップホップは探しても、ほかにあまり例がないだろうと私には思われる。また、その日の短波ラジオシンセサイザーターンテーブルに載せられた厳選されたレコード盤のぎざぎざしたのこぎり波などなどの咆哮が、ある種の騒々しい電子音楽といえるのなら、それは、これもパンク的なやり方でもって、AMMの『The Crypt』に肉迫していた。

思い出を……彼らならではのアネクドートをひとつ書いておこう。現在はスマーフ男組のA&Rであり、しばらく前にはAhh! Folly JetのA&Rでもあった小林弘幸は、その日、M+M Productionのパフォーマンスに先だってDJを務めていたのだが、マジアレは、小林のかけたジョン・コルトレーンの“フリー”なジャズ、“OM” に大喜びし、耳をふさごうか躊躇しているほかのお客たちをよそに、エアロビクスのダンサーさながらぴょんぴょん跳びはね、Slitsのフロアーを全速力でくるくると走って、はしゃぎまわった。彼の姿はそう、ぱちぱちはぜる火の粉そのもので、いまも私の目にくっきりと焼き付いている。私は正直、「この男の子はいったいどうしちゃったんだろう?」と困惑させられたものだけれど、そのときのことをなにゆえ私が忘れえないかといえば、彼の表情が心底しあわせに満ちあふれたものだったからである。私はだから、その光景を胸にしまって、その日から、半信半疑で、のちのスマーフ男組となる彼らの音楽に徐々にとり憑かれていくことになったのだ。

 

*3 アキラ・ザ・マインド

元アポロスのアキラ・ザ・マインドは結成後ほどなくしてADSにベース・プレイヤーとして招かれ、そののち、ときを経ずして正式加入している(95年8月に新宿P3ギャラリーでおこなわれたイヴェント「UNKNOWNMIX」における、ビーチ・ボーイズの“Fire”をカヴァーしたステージから参加。そこには彼も、ほかの3人とともに消防士のヘルメットを頭に載せて現われた)。アキラ・ザ・マインドはまた、DMBQのベーシスト渡辺龍一、マジアレとともに、オルタナティヴでファンキーなプログレッシヴ・ロック・トリオ、Ultra Freak Overeatのメンバーだった。加えていえば、アキラ・ザ・マインドは一時期、ナチュラル・カラミティーのサポート・メンバーを務めていたこともある。

 

*4 “E・L・E・C・T・R・O 〜スマーフ男組の808 MYTH APPROACH〜”

同曲はその表題にたがわず、スマーフ男組のキャリアをつうじ最もストレートにエレクトロ・ヒップホップへの愛情が注ぎ込まれ、なおかつそれが存分に表出したものとなっている。“E・L・E・C・T・R・O ”は、2 Live Crewの“Beat Box(Remix)”の冒頭をさらにリ・エディットしたものからはじまり(このぶぶんは、J-WAVEのジングルとして、いまだにつかわれている)、 Unknown DJの「I am a master of the 808!」をみずからの態度表明のために参照しつつ、TR-808の32分音符を多用した彼ら独自のビートになだれ込む(それは、曲調からすれば意外だが、ホワン・アトキンスの“Clear”のシンコペーションと似かよっている)。そして、ジェリービーンの“The Mexican”にあるような生演奏のボンゴ・ソロ、さらにみなさんもラメルジーの“Beat Bop”でご案内だろうパーカッション……つまりフレクサトーンの身震いをはさんでから、コンピューマとマジアレのいくぶん調子はずれのコーラスで歩幅をおおきく拡げる。ついで、アキラ・ザ・マインドのラテンふうなタッチのキーボード、クラフトワークのようにひんやりしたストリングス・シンセでその色彩を豊かにし(ここで変化するベースラインはインヴィジブル・スクラッチ・ピクルスが速まわししてかけたオリジナル・コンセプトの“Knowledge Me”)、さらに、ニュークリアスの“Jam On Revenge”をTR-808フィルインに、また、フリースタイルの「I know, you’re feelin'!」をリズムのカウンターに引用しながら、コンピューマがサンプルしたマジアレのチビ声連打、おなじくコンピューマ自慢のヴォコーダー、 EMS System-2000のチャントをきっかけに、“Looking For The Perfect Beat”のアーサー・ベイカーのリヴァーヴの峡谷にビートを没入させ、いよいよリズムを沸騰しにかかる。そして、マジアレのどちらかといえばまだ珍しい部類にはいる種類のMC、16小節のラッピング(最後のほうで、ミスター・マジックのラジオ・ショウの常套句を翻案した「スマーフスマーフ,男,男,組,組!」が聴かれる)を経て、コンピューマの湯気のたつスクラッチ(“マルティグラへつれてって”と、ピーター・ウルフの“Lights Out”)を招きいれた“E・L・E・C・T・R・O ”は、熱でBPMを融解する寸前でなんとかもちこたえている、といった表情へと劇的な変化をとげる。ぶくぶく。やがて、幕ぎれにおいては、“Planet Rock”のボーナス・ビートの寸分たがわぬコピーのうえでコンピューマが愛器の短波ラジオをワルツさせ、聴き手を成層圏の外側へとはこびだす。……眺めはどうだい!?

以上。“E・L・E・C・T・R・O ”は、7分04秒のエレクトロ・ライディングだ。

この項、脚注としてはかなり長いものになってしまった。いい機会だから、整理しておくことにしよう。“E・L・E・C・T・R・O ”には上記にみてきたように直接、間接問わず列挙すれば、以下のA to Zの要素がトッピングされている。

□2 Live Crew“Beat Box(Remix)”(Luke Skywalker)A

□Unknown DJ“808 Beats”(Techno Hop)B

Cybotron“Clear”(Fantasy)C

□Jellybean“The Mexican”(EMI)D

□Rammelzee Vs. K-Rob“Beat Bop”(Tartown/Profile)E

Kraftwerk“Trans-Europe Express”もしくは“Tour De France”(EMI)F

□Original Concept“Knowledge Me”(Def Jam)G

□Newcleus“Jam On Revenge”(Sunny View)H

 ──ニュークリアスはいわずとしれた、マジアレのアイドル。マジアレのチビ声は、彼らにルーツの多くを負っている。

□Freestyle“It’s Automatic”(Music Specialists)I

□Mister Magic’s Rap Attack(WBLS-FM/NYのジングル)J

Afrika Bambaataa & Soul Sonic Force“Looking For The Perfect Beat”(Tommy Boy)K

Bob James“Take Me To The Mardi Gras”(CTI)L

 ──クロスフェイダーの切り方は、Davy DMXの“One For The Treble”(M)みたいだ。

□Peter Wolf“Lights Out”(EMI)N

 ──Michael Jonzun(O)のプロデュース作。

Afrika Bambaataa & Soul Sonic Force“Planet Rock”(Tommy Boy)P

いうまでもないが、この曲で聴かれる軽やかな主旋律、シンセのメロディーはスマーフ……Peyoのほんとうのスマーフのアニメーション音楽からの借用であり(Q)、冒頭のエディットはラテン・ラスカルズ(R)、もしくはトニー・ガルシア(S)のそれに迫らんとしてシーケンスされたものだ。また、サブ・タイトルの“808 MYTH APPROACH”とは、サン・ラーと彼のアーケストラ(T)からのもじりである。さらにつけ加えれば、マジアレのチップマンク声(U)=マンチキン声=チビ声は、ニュークリアスに勝るとも劣らず、マイクロノーツ(Micronawts)の“Smurph Across The Surf”(V)から甚大な影響を受けたもの……つまり、マジアレのいいぶんによれば「もうなんてか、好きで好きで。この12インチ・レコードと僕の宝物、ビリー・ホリデイ(W)の都合38枚のアルバム、580曲以上とは、ちょっと天秤にかけられないくらいなんだ! ボリス・ヴィアン(X)はさ、エリントン(Y)の音楽と女の子がいれば、ほかにはなんもいらないっていったそうだけど、僕は、僕の恋人と、ビリー・ホリデイと、“Smurph Across The Surf”があれば、ほかになんもいらないんだよね、ワッハハ!」なんだそうだ。ハ! まあ、私には知ったこっちゃないがね……(Z/私……筆者スティーヴンの近影。そうさ、かなり強引なA to Zだね!)。

 

*5 スマーフ渚をわたる

98年8月から99 年6月までの全11回に終わっている。ゲストにはTPfX、脱線3、中原昌也、LATIN RAS KAZ、下北バンバータ、全裸ロックなどおなじみの面々のほか、荏開津広、二見裕志、コスモ星丸(イルドーザーの石黒)、KZA、パンプ横山(!)、ロマン・ポルシェ、意外なところでは橋本徹(サバービア)もDJで一夜を飾ったという記録が残されている。マジアレによれば、アルバム・リリース後に再開されるだろうレギュラー・パーティーは「スマーフ“また”渚をわたる」として構想されるはずだとのこと。

 

*6 スマーフ男組の個性と発展

このタイトルは、ギル・エヴァンスのアルバム『The Individualism Of Gil Evans』の邦題のもじり。また、同アルバムには副題に、“NUEVO TIEMPO”(こちらはアストル・ピアソラと彼のキンテートのアルバム・タイトルのもじり)とつけ加えられる予定もある。いずれにせよそれは、15曲前後が収録されたアルバムとなるだろう。

 

*7 ぐずぐずしてすみません!

マジアレは 9・11以降、しばらく人が変わってしまったのかもわからない。アフガンとイラクの戦争を経て、彼は人生の底を右往左往し、しまいにはがっくりと、一時期は頭を下げたままになってしまった。彼はあまりに、ほとんどカマリロ病院で静養したまんまのような期間、つまり猶予のような期間を必要としすぎていたようだ。しかし彼は最近、散歩することをなによりの楽しみにしている(そのことについては、バッファロー・ドーターバイオグラフィー『303 Life』でも触れられている)。彼の生活そのものは、すぐさま、スマーフ男組にフィードバックされ、その音楽に敷衍されていくことだろう。彼のアウトプットはいま、へたくそな文章を書くことと、恋人にキスをすること、音楽をつくりだすことにしかないのだ。「『生活笑百科』のキダタローのテーマ曲って土曜の昼をうきうきさせんじゃん!? ああいう音楽をやりたいんだ!」──最近のマジアレはときおり理解に苦しむようなことを口走るが、私は、つとめて好意的にその言葉を受けとめようと思っている。

 

*8 マジアレのパスタ

こないだマジアレはきのこのクリーム・パスタを私にふるまってくれたが、悲しいことにその生クリームは脂肪分とそうでないものに完全に分離しており、いつもならよほどのことがないかぎり彼の料理をたいらげる私も音をあげてしまうほかなかった。つまり、彼のパスタは彼のDJとおなじで、失敗することもすくなからずある、ということだ。だが、私はこの場を借りて彼に強くいっておきたい。「なにを怖れることがあるものかい!」。