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非実在犬の存在しないハートから溢れ出す愛。

最近読んだ、SF小説の主人公は非実在犬であるエドを飼っていたのだが、その犬を紹介するくだりが美しさの見事っぷり、にほとほと感心した。

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彼は自分が存在していないのとにさえ気付いていない。犬は、よだれにまみれた無条件の忠誠を主人公に捧げる、奇妙な存在論的実体にすぎないのだ。過剰にして無償の愛。エドは間違いなく何かの保存則を破っている。そこでは、無から何かが湧き出している。たとえばこのよだれが全部、そうして多分、愛なんかも。非実在犬の存在しないハートから溢れ出す愛。
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非実在犬というSF設定の説明をしていながら、同時に愛が存在論的実体だという説明にもなっているのだ。なんて高度なメタファーなんだ、とページを捲る手が止まった。

SF的な宇宙で安全に暮らすっていうこと

SF的な宇宙で安全に暮らすっていうこと

 

 

 

もしも僕らの寿命が100年、200年、あるいは永遠になったら。

 何かのインタビューで女性のアーティストがこれからの結婚観について尋ねられていた。「人間の寿命が延びたときに、果たして同じ人と100年、200年一緒にいるのが合理的なのか?果たして永遠に生きられるようになったとき、永遠を誓うことは現実的な選択なのか?」と彼女は語っていてた。

 「この恋がいつの日にか 表彰台に登るとき 君がメダルを受け取ってくれないか 例えば千年 千年じゃ足りないか できるだけ長生きするから」と歌ったのはザ・ハイロウズだった。永遠の愛を誓う価値観もいつかは相対化されて、未来の僕たちには信じられない恋愛観のように思えるのかもしれない。結婚相手と一緒に過ごすことも、一つの国に住み続けることも永遠のような長い時間を生きることが可能になった未来では現実的でなくなったとしたら、自分が永遠と信じれる対象は自分の人生以外に何があるのだろうか。

 三島由紀夫金閣寺で描いた主人公は滅びの美しさを信じていた。「美しいもの」は本来ならば「存在しないもの」であり、端的に言えば「虚無」であると主人公は考える。「美しさ」に実体はなく、現実に存在する事物がそれ自体で「確固たる美」を所有することは出来ない。「永遠」に存在し続けるかのような金閣寺に、有限性を付与することで金閣寺は美しくなるのだ。そのために彼は金閣寺をラストシーンで燃やす。だとするならば、私たちは「永遠」を誓って有限に生きることと、いつかは全てが変わってしまうことを前提としながら永遠のように生きることではどちらが美しいのだろうか。果たして、人生における価値観すら相対化されることとなった世界で自分は何を選び取るのだろうか。

 

2017年に起きることを予測してみた

「今の時期だからこそ出来る遊びって何だろうか?」と考えた結果、2017年に起きることの予測にハマっている。「今年は何が起きると思う?」と遊んでいる最中に聞いて、同時に「答え合わせしようね!」と年末に忘年会の約束を取り付けている。Facebookイベントで設定しているおかげで2017年を予測したことも忘れているはないはず!タイムカプセルみたいに、時が経つのが楽しみになるのでオススメの遊び方である。

 

って訳で最近、友達と考えた2017年予測の一部を抜粋して、まとめておく。

 

・2017年のBRUTUSの特集
日本茶

ハンバーガー

夜遊び

カスタムサラダ
小さなDIY

男のガーリー

メンズネイル

缶バッチ

銭湯

電球

焚き火

空き地

ホームパーティー

ボードゲーム

お歳暮

グリーティングカード

午後15時

食べログ非公開

町の落書き

室外機

フードトラック

和菓子

スニーカー

相撲

競馬

ジャージ

SF小説

花屋

盆栽

パフェ

ミュージカル

拡張する身体としてのポシェット

コリアンユースカルチャー

行動経済学

インスタグラム

P2P

小劇場

移民

公園

マレーシア

LGBTQ

フェミニズム

 

・芸能
SMAPの誰かがYouTuberになる
アメトーークで文春芸人
ジャニーズは今年もネットに対応しない
ガセ不倫ニュースでダメージを受ける芸能人の登場
チュートリアル徳井が個人投資家になる
ベッキー矢口真里がMCの番組スタート
叶姉妹クラウドファンディングを行う
オリンピック選手が文春砲の餌食になる
芸人がドラマの脚本を書くようになる
渡辺直美が原宿に店を出す
林先生はAIだと発覚する
心霊番組が夏に流行る

 

・インターネット
デモアプリが流行

ホリエモンが大きいことを始める

 

・医療
東洋医学の流行

医療大麻の流行

大山式forMEN ZERO - つけるだけ 歩くだけでやせる最強のパッド-が流行る。

 

・社会情勢
マイナンバーの情報が流出する
パパ活絡みの事件が起きて、大きく報道される
すごい伝染病が生まれる
FeliCaを身体に埋め込む人の登場
VRに関する何かで人が死ぬ。

 

・世界情勢
カリスマ的な革命家の登場
ポピュリズム政党躍進の流れにオランダが対抗
トランプに対抗する形で大規模な音楽イベントが開かれる
アメリカのポップスターがカナダへ移住する
バナナの絶滅

 

 

今年はどんな一年になるんでしょうか。
よかったら、皆さんの2017年予測も教えてください。

16歳のときに1度だけ会った女子大生から8年ぶりに来た連絡が「うちの旦那を紹介するよ!」だった。

16歳のときに大阪から東京に一人で遊びに来た時にライヴハウスで会った、当時大学生だったお姉さんから八年ぶりの連絡がInstagramで来た。「最近結婚したんだけど、うちの旦那とリッキー、気が合いそうだから紹介するから今度ご飯行こう!」とのこと。当時はmixiで繋がってた人だけど、流れ流れ着いて、今はTwitterInstagramで近況を確認しており、その人は保健室の先生になっており、自分は就職を控えた大学四年生となっている。当時、その人と僕が知り合うきっかけになったバンドはもういないのに、こんな連絡が来るのは嬉しい。こういうことが起きるから、なんだかんだSNSをやり続けるのかもしれない。


2010年代が始まった頃はTwitterをきっかけに高校生が孫正義に会ったり、ジャスミン革命が起きたり、なんだかSNSによって世界は好転するんじゃないか、ポジティブな革命が起きるのではないか、と人々は信じていた。2010年代の折り返し地点となった2016年、Twitterは殺伐とした世界になり、Facebookは嘘ニュースが撒き散らされる場所になった。SNSによって、世界は好転したとは誰も言えないし、信じられなくなった。

ただ、少なくともSNSは自分の人生の可能性を広げて、自分の人生を好転させる存在だったのではないかな、と思った。

 

という訳で今晩、八年ぶりに会うのが楽しみだなーと思いながら、昼飯を食べてる。

俺の「君の名は。」

こないだ新年会でデザイナーの学生と話していたら「今はこういうフォントが流行っている。この広告もあの広告もこのフォントなんです」と実際にそのフォントを利用した広告の画像を見せてくれた。僕の隣に座っていた友達が「うわ、私の好きな広告、全部このフォントだ!このフォント好きだなぁ、◯◯っていう名前なんだ、全然知らなかった」と驚いていた。それを見ていて、自分がすごい好きなものなのに名前を知らないって「君の名は。」みたいで面白いなと思った。
ということで、ググっても名前が分からない、調べ方が分からない、普段は意識もしていない、それでも大好きなものを『俺の「君の名は。』と呼ぶことにした。


いろんな人の『俺の「君の名は。」』が知りたい。

来年もその先もよろしく頼むよ!

 

 「人間と継続的に関係していくのって案外、難しいな。」

今年を振り返って思うことはそんなことだった。

生まれて23年経ち(ちなみにリバー・フェニックスはこの年齢で死んだらしい、どんな人生だよ)、上京と大学進学から四年も経つと、地元にも東京にもそれ以外のところにも、気づけばもう幾年も会っていないという友人が大勢出てくる。日々を暮らして、目の前のことを追いかけていると、昔の友人や昔のクラスメイトになかなか会う理由がないからだ。(ほんとは理由なんていらないのかもしれないけど)
そんな会うために都合のいい理由として「卒業間近」とか「忘年会」とかは便利で、今月はたくさんの人に会った。

そして昨日は高校の同級生が大勢集まる忘年会に参加してきた。一人の同級生の女の子が毎年主催しているものだ。もう五年目だという今回、初めて参加した。自分は高校時代にそんなに話さなかった人たちが多い集まりだというのもあって、何だか気乗りしなくて、これまで参加してこなかったのだ。でも、せっかく毎年誘ってもらえるのに一度も参加しないってのも気がひける話なので、今年は参加してきた。何十人もの高校の同級生が揃ってコミュニケーションしている様子なんて卒業して初めて見た。毎年の恒例行事として皆がその忘年会に接しているのもなんだか新鮮だった。何年も継続して、こんな理由を作れるって凄いなーと思いながら場を見渡してた。そのたったひとつの理由がなければ、再現されることが二度とはと言わないにしても、何十年も再現されなかったかもしれないと考えると、なんだか凄いことなんじゃないか、と思った。

話は変わるが、僕は高校三年生の頃、本町nuoohや京都METROというハコによく遊びに行っていた。中でもnuoohで開かれていた「oz」というパーティーは初回で初めてDJをやらしてもらったりした思い出深いイベントで、そんな縁もあって、よく遊びに行っていた。そのパーティーを主催していたのはzicoさんという方で、高校生活、いやそのあとの大学生活においても何かとお世話になった。そんなzicoさんが関西を代表するオーガナイザーとしてインタビューされた記事が載っている「関西ソーカル」というzineの3号を先ほど購入した。高校時代、早朝のなか卯でよく聞いていた話が文字になっていて、なんだか不思議な気分だった。自分のことや自分のやっていたパーティーも少しだけ言及されたりしていて、めちゃくちゃテンションが上がったりした。

インタビューの終わりに、ozが開かれていたnuoohが閉まったときの話が触れられていた。nuoohがなくなるとき、友人と「続けることで前向きな未来もあるんじゃないか」という話をskypeでしたのだという。その話に続いて、zicoさんが
「だから変わる、ということが何かを捨てること、何かと別れることと無縁でありえないとしても、続いていくならいつかまた会える時がくるのではないか、変わりながらだからこそ、続けられたこそできる再会もあるのではないか、と思う気持ちがあって。それが続けている意味かもしれないですね。」
と語って、インタビューは終わっていた。

大学生活四年間を通して実感した大きな要素として「始めるより、続ける方が難しい」ということがある。このzineで触れられていたパーティーも僕はやめてしまったし、他にもいくつも継続して取り組みたいことはあったのだけれど、現在はどれもやらなくなってしまっているというのが実情だ。冒頭で触れた人間関係に関する話もそうだ。何事も新しく始めるより、継続的に取り組んでいくことのほうが難しい。でも継続的に行わないと、見れない光景もあって、高校の同級生の忘年会も毎年恒例だからこそのグルーヴが発生しており、パーティーも続けるからこそ再会なんて現象が発生したりする訳だ。

来年からは少しのことでいいから、瞬間瞬間ではなくて、継続的に続けるということを念頭に置いて生活しようと思った。

そういえば、つい先日、先輩とチャットしていると「来年もその先もよろしく頼むよ!」って言われて、けっこう感動した。その感動の正体はうまく説明できないが、強いて言えば、普段からそんな未来見据えて生活していることに対する驚きと来年もその先も関係していくことの緩やかな宣言への喜びだろうか。
めちゃくちゃいい言葉だと思ったことを先輩に伝えると「大事なときにだけ使うように!」と返ってきた。大事なときのために使わないでおいてる言葉なんて自分にはなかったので、「これが大人か」と思った。大事なときにだけ使う言葉を僕も集めたい。

そんな訳でついこないだ会った皆も、随分会ってない皆も、来年もその先もよろしく頼みます。
継続的に人間と関係していきたい。

よいお年を!
 

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僕は水槽の中でクリスマスを見ているのかもしれない。

 電子や光子といった極めて小さい素粒子の振る舞いが量子力学で記述される。そして、量子力学によれば、これらの素粒子は、普段は確率として、ぼんやりとした霧の塊ように存在しており、観測を行なうまでは厳密な位置や速度などの状態を確定できないとされている。つまり、観測をしていない素粒子は、見るまでは存在していないとも表現できる。

 この非実在性は、素粒子のような微視的世界では厳密な実験で実証されているが、人間スケールの巨視的世界では、例えば月の非実在性ー誰も見ていない間は月は存在していないーというのは、通常の常識的にはあり得ないと考えられる。だが、本当に巨視的世界にも物理学的見地から量子力学非実在性が当てはまらないのかどうかは、これまで未解決だった。

 具体的には、ある物理系で実在性の破れを確認するためには実在性が満たすレゲット・ガーグ不等式と呼ばれる条件がその物理系で破れることを示す必要がある。この不等式は実在性が成り立てば必ず満たされるが、量子力学のように実在性が成り立たない系では満たされない場合がある。しかし、実験で直接レゲット・ガーグ不等式の破れを示すためには、量子性が保たれる時間内に3回の高精度な測定が必要などの厳しい条件があり実証が困難だった。

 そういった中、NTTと米国イリノイ大学は、実在性の破れの検証実験を行ない、電流状態という巨視的な量での実在性の破れを実証したというニュースがつい一ヶ月ほど前に報じられた。「この世のモノは見るまで存在しない“非実在性”は巨視的世界にも当てはまる」という見出しだったが、電流状態の巨視的状態がどれぐらいのものなのか分からないので、いまいちピンと来なかったのだが、シュミレーション仮説の勢いが増しそうな話だなと思った。このニュースを知るきっかけになったのはお世話になっている人がFacebookのTLでシェアしていたからなのだが、その人も同じような言葉と共にシェアされていた。

 つい先日、過ぎ去っていたクリスマスは悲喜こもごもの様子がMessengerやらInstagramやらTwitterやらで観測され、とんだ群像劇のようだった。最近、彼氏が出来たものの知り合ってから随分経つので相手を恋人として見れるか不安がっていた友達からの無事に接吻できた報告。自分に徹夜で仕事をしていたせいで恋人にそっけない態度を取ってしまって怒られた友人のため息。口癖のように寂しいとつぶやいていた知り合いが彼氏ができたようで嬉しそうな呟き。友達と楽しそうにホームパーティーをする様子。恋人とどんぴしゃで24日に別れてしまった連絡、などなど枚挙にいとまがない。

 そのどれもが日常からの伏線回収がされている様子に思えた。SNSを見てるだけで、なんだか群像劇の登場人物の人生のスピードが少しだけ加速しているように感じた。必然の一日のようだった。マグノリア/ポール・トーマス・アンダーソンならカエルが空から降ってきていただろう。仮に僕がもし水槽の脳だったとしたら、僕の脳みそに電極を繋げた誰かは随分と見事なストーリーテラーだなと思った。伏線と認識していなかったことが、あとから考えれば伏線のように感じることが沢山ある。未来は不可視だから面白いし、人生はこうして必然の瞬間がときたま訪れるから楽しい。

 

Merry X'mas

 

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